TOMOKO.先生のブログ

イギリスや海外での一コマを皆さんに紹介します。 写真は残念ですが掲載できません。 更新は毎週土曜日の予定です!

ロンドンのトーストはなぜ薄い

想像してみてください🤔

みなさんにとって 理想の朝食🍽はどんなものですか❓

 

日本食🍱🥢 シリアル🥣 それともトースト🍞とコーヒー☕️か紅茶🍵?

 

ロンドンっ子 Londoners🇬🇧の家庭での朝食も ほとんどシリアル🥣かトースト🍞みたいです

 

東京人🇯🇵はTokyoite(トウキョウアイトゥ)という英語がありますよ

ちなみに有名なのはパリっ子🇫🇷はParisien/Parisiene(パリジェン・パリジエンヌ)ですね

 

ロンドン🇬🇧にいて 本当に感じるのがトースト🍞の薄さでした‼️

 

うすうすのトースト🍞を真っ黒になるくらい カリカリに焼く🔥ので 「カリカリ」というよりも多分「丸焼けトースト💣」の感じです

 

どんなに薄いかというと 多分日本でいう「サンドイッチ用トースト」くらいで それをカリカリにトーストするので 食パンの「柔らかさ」は全くなく そもそもそれが (トーストする前は)「食パン」であったことさえも想像できないほどの硬さなんですよ😅

 

長所といえば 全体がカリカリで硬くなるので パンの耳crustさえも美味しくいただけるというところでしょうか  😂🤣

 

これくらいの硬さになると 喉もかわくので 紅茶🍵も飲みたくなるし そうするとはやりミルクの入った紅茶となるので(レモンティーはトーストにあわないですよね) だからイギリス🇬🇧は紅茶の国なのだと しみじみ思ったのです

 

近頃のロンドンの若者は 「紅茶離れ」が始まっているそうです

もちろんコーヒー☕️が人気です

 

食パンの話に戻り...

 

ところがですよ お店などで売っているサンドイッチ🥪の食パンの厚さは トーストよりも厚くて日本の「6枚切りの食パン🍞」くらいなんです‼️

 

いやいや 日本人たるもの 「トーストは厚めのホカホカ🍞」がよくて 「サンドイッチ🥪は具材たっぷりの食パン薄め」がいいですよね

少なくとも 私はそうなので このロンドンのトーストは食べ慣れませんでした

 

色々な国に行けばその国の食べ物に挑戦してみたいと思うのですが トーストだけは ... やはり日本の「外側はカリッと 中はホカホカの」トースト🍞が一番だと思いました❗️

 

以前のブログで書いた 「パリのサンドイッチ🥖」も硬くて なかなかに大変でした💦

 

食文化というのは 良い意味での(その文化を知るための)カルチャーショックCulture shockですね😄

 

 

 

リッツホテル The Ritz London

今 イギリス王室🇬🇧で有名な人といえば もちろんエリザベス女王👑 ウィリアム王子 キャリン妃 ... それとも 「メグジット」で有名になったヘンリー王子とメーガン妃でしょうか❓

 

でも皆さん 1997年にパリ🇫🇷で交通事故🚗で亡くなったダイアナ妃💍をまだご記憶の方もみえますよね❓

 

もちろんリアルタイムではなくても ダイアナ妃の事故は「ただの事故」か はたまた「陰謀💣」だったのかと テレビ番組📺や小説📚で長らく世間を騒がせていますね

 

そして 事故の直前までダイアナ妃が泊まっていたのがパリ🇫🇷の超高級ホテルのリッツホテル  Hôtel Ritzでしたね

 

事故を起こした運転手はリッツホテルの警備主任のアンリ・ポールで 結局 彼の飲酒運転🥂が原因であったとされましたけど その後も 色々な「陰謀説💣」はなくなりませんね

 

その事故の映像🎥で すっかり庶民にも有名になった「リッツホテル」は ロンドン🇬🇧にもあります

 

リッツホテル The Ritz Londonはピカデリー通りにあります

王室のワラントRoyal warrant of appointment(御用達)も受けています

(王室ワラントについてはまた今後のブログで説明していきますね🖋)

 

ロンドン🇬🇧にいた時に 「たまには贅沢なホテルに泊まってみよう」と(相方が)思い リッツホテルに1−2泊したことがありました

 

泊まりごこちですか❓

私個人の意見としては 「さんざん💦」なものでした

 

そもそも ヨーロッパにはまだ「階級」が残っているのをご存知ですか⁉️

もちろん日本にも天皇陛下を頂点に いくつかの「宮家」があり 階級制度は残っているのですが ヨーロッパでは「王制」でなくなった後も 依然(日本には比べ物にならないほど強い)「階級社会👑」が残っているんですよ

 

イギリス英語といえば まず頭に浮かぶのは RP(Received Pronunciation)「容認発音」のような「クイーンズ・イングリッシュ」(「王様」の時代になるとKing's Englishになるそうです)ですが その土地やその階級に属する英語も存在します

「下町英語」のコックニーCockneyをご存知の方もみえるのではないでしょうか

 

私が短期間ホームステイしていたスミス家は ロンドンから南東へ(ローカル線🚃で たしか11駅目)行ったところのForest Hill 🌲だったのですが 二人の子供達の話す「英語」が 90%理解できなかったです😅💦

最初は「ドイツ語かな」とも思ってしまいました💦

 

日本語にも地方の訛りもあるので 「英語」に色々な訛りがあ流のも当然ですけど でも日本では共通語を話す人は多いですよね

Wikipediaによると イギリスでは「標準英語の使用者は人口の3%程度」のことです👀

これは イギリスの人々が それぞれの所属する地域や 社会階級に満足していて もともと「上流階級」の話していた「英語」を使う気持ちがなかったみたいです

 

話をリッツホテルに戻しまして...

 

まず タクシー🚕に乗ってホテルに着いた時から 「階級差別(いや「階級区別」かな)」は始まりました💦

 

普通のホテルでは ポーター はホテルの中に入って初めて荷物とかを持ってくれるのですが リッツホテルでは ホテルの前の道に 何人ものポーターがタクシー🚕を待ち構えています

 

タクシーが止まるか止まらないかのタイミングで タクシーのドアを開け 宿泊客がドアから降りる間に スーツケース🛄などの荷物を出際よく下ろしてくれます

そして 客はほとんど待つこともなく ホテルの中に入っていきます

 

このような具合で とても要領よく宿泊客はホテルの中に入れるのですが やはり格式高い「リッツ」は 「おなじみの」宿泊客(常連さん)や 「明らかに」お金持ちを優先させているようでした

 

(これは あくまでも私個人の意見なので ホテル関係者の方 どうぞ「炎上」しないでくださいね

チューリッチ🇨🇭でも 1度 こういうことがあったので 「常連客」が優遇されることは 仕方のないことですけど😅)

 

しばらく待たされ 2−3組の客の後に ようやく私たちのスーツ🛄はタクシー🚕から降ろされ と ... またもやポーターが 他の客の対応にあたるために またもや待つ羽目になりました😡

 

正直なところ 一般人である私は 「格式あるホテル」というものは肩身がせまいので 泊まってみたいとも思わなかったのですが 相方が「何事とも経験」と主張したのでした😶💦

 

なんやかんやで 着いた瞬間から「階級差別(区別?)」を味わい☹️ 部屋に通される間も 肩身が狭かったです☹️

部屋まで案内してくれた女性スタッフ👠は 必要以上に「慇懃」で 質問しづらいかったし あまり 「話しかけて欲しくない」雰囲気でした☹️

 

いつものように「ホテル」に着いて ホッと一息☕️にはならなかったです💦

 

そして 「もう寝るか🌙」の時間には 私たちの部屋の前の「火災報知器🛎」が高らかになりました

「えっ まさか火事🔥?」と思っても それ以後の連絡📞がありません

「本当の火事だったら困るな」と思って フロントへ電話で確認をしたところ 「火事ではありません」とそっけなく😡

 

「ええーっ 火災報知器が鳴ったのだし 火事ではないのなら お詫びとかの言葉があってもいいのじゃないか😡」と 強い口調で非難しても 「どこ吹く風」の対応でした😡

「わざと 鳴らしたのではないか」とも 思えてしまいました😡

 

リッツホテル🇬🇧は 1906年の開業とあるので 由緒あるホテルではありますが 古いホテルは設備的に 最新ホテルには及ばないかな...とも感じました

 

Wikipediaには 「136部屋で小規模ながら充実した設備、さらに宿泊客数に対してポーターやコンシェルジュ、ドアマンをはじめとするスタッフの数が多いなど サービスは内外から高い評価を受けており...」とあるのですが😅

 

ロンドン🇬🇧でリッツホテルといえばアフタヌーンティー🍰☕️で有名なのですが ホテルの雰囲気にすっかり意気消沈して その後のことは全く記憶にないくらい 楽しい思い出のなかったホテルでした😅

 

いろいろなホテルに泊まってみて思うことは 「ホテルは旅の疲れを取るところなので ゆったりしたい☕️」ので 由緒・格式ではなく サービスを充実して欲しかったです

 

以上が「格式高い」リッツホテルに宿泊した感想でした😅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャーロック・ホームズを追ってースイス編

マイリンゲン Meiringenは スイス🇨🇭にある山あいの村です

 

日本人に大人気のインターラーケンInterlaken やグリンデルワルトGrinderwald の北東側(すぐ近く)になります

 

ここは「メレンゲ Meringue」(あの卵白とお砂糖をあわ立てて作ったお菓子🍪です)の発祥地です

メレンゲMeringueという言葉は このマイリンゲンMeiringenから来ています💡

 

人口はおよそ4600人ほどの小さな村なのですが なぜ そこにシャーロック・ホームズ🕵🏻‍♂️が関係あるのかというと なんと「シャーロック・ホームズ最後の事件 The Final Problem」で 宿敵モリアーティ教授 Prof. Moriarty と格闘して ホームズはこのマイリンゲンにある「ライヘンバッハの滝 Reichenbachfall」に落ちて死んでしまったからです

(結局 読者と出版社からの再三の要望で コナン・ドイルは ホームズを復活させています)

 

なぜ かの有名なホームズ🕵🏻‍♂️がこんな辺鄙なスイスの地まで来たかというと ...

 

宿敵モリアーティ教授から逃げている説 反対にモリアーティ教授を誘い出した説がありますが いずれにしろ ホームズは ライヘンバッハの滝 Reichenbachfall から落ちて死んでしまいました(死んでしまったことになりました)

 

では スイスのマイリンゲンでの旅🇨🇭について...

 

ルツェルンのホテルを朝 出発し 列車🚃でマイリンゲン に向かいました

スーツケースを駅に預け 「ライヘンバッハの滝」を目指し ハイキングに出かけます

 

スイスの山あいの村は どこでもそうなんですが 夏は涼しく 草原が広がり そしてむちゃくちゃのどかです

 

村の外れの小さなお店で買った「メレンゲ」のお菓子を食べながら30分ほどハイキングをして ... そして疲れ ... 結局 駅の人に聞いた「ポストバス🚌」に乗ったのです

 

(当時は「メレンゲ」がマイリンゲン の名産とは知らなかったので お店の人に 無知にも「これは何ですか?」ときき 「マイリンゲン の特産ですよ」といろいろ教えてもらったのでした)

 

最初から 「ポストバス🚌」に乗って「ライヘンバッハ」の滝を目指せばよかったのですが のんびりした気分になると いつも「歩いていけるのではないか」という気持ちになるのですよね😅

 

「ポストバス🚌」は地方の「路線バス」のようなもので 黄色です

もともと乗客と一緒に「郵便物📮」を運んでいたので「ポスト📮バス」と呼ばれるようになったということです

 

スイスの山あいの町はどこでもそうらしいのですが バス🚌の運転手も乗客も また列車🚃の乗客も 村人を見かけたら手を振って「挨拶」をすることになっているようです😄

 

それは旅行者も同様で 村人の姿を見つけると 手を振らないといけませんよ😄

村人も 自転車🚲に乗っている人も 道を歩いている人も 農作業をしている人も 年齢に全く関係なく 手を振ってくれます

とても気持ちがいいものです😄

 

「ポストバス🚌」は小さな村をすぐに抜け 畑の間を通って森に向かいます

 

Google earthで見ていただいてもわかるように 「マイリンゲン」から「ライヘンバッハの滝」までは 畑の中を超えて行きます

 

畑の中をまっすぐに進むのではなく 路線バスですので 色々な場所で止まり 右にまがったり左にまがったりと 畑の中の細い道を バスにはギリギリの幅の道を進みます

「絶対に脱輪するのではないか」と思うような道を無事曲がり 10分くらいすると 小さな広場に着きます

 

(「路線バス」が通るのが決まっているなら 道を広くしたらどうだろうとついつい思ってしまいますが きっと自然を変えることはしないのですね)

 

途中 バスが直角に曲がろうと 畑の細い道を何度も何度も切り返しをして 無事曲がれた時には 数少ない乗客の人たちは運転手さんに拍手をしていました

乗り物の中からの「挨拶」とか 運転手さんへの「拍手」とか 本当に心温まる思い出です

 

最初は気づかなかったのですが この公園には「シャーロック・ホームズ」の小さな像があったのを 帰るときにバスから見つけました

 

その公園の端に ケーブルカー 🚞Reichenbachfallbahn (PiB)の乗り場 があり そこから滝を目指します

 

ケーブルカーは45度の傾きがあり 10分くらいで滝まで登って行きます

 

車掌さん(は運転手さんが兼任でした)が 不思議そうに「どうしていくのか?』と聞くので 「ホームズの有名な場所ですよ」と説明したのだが もちろん車掌さん(兼運転手さん)は ホームズの話は知っているに違いないのですが ... 実際 訪れる人は多くないようなのでした

 

「んんんん... そういえば 有名な場所とは聞いていたけど 誰もいないな😅」

行きも帰りも 私たち以外の利用客はいなかったのでした😀

 

ケーブルカーを降り その際に 車掌さん(兼運転手さん)が「45分後に出発する」と教えてくれます

それをのがすと 次のケーブルカーの運行はないと ...

乗り遅れたら 歩いて帰る道もあるそうなのですが ... 💦

もちろん 車掌さん(兼運転手さん)はとても親切で 礼儀正しかったですよ

 

ケーブルカーの駅から降りて 少し登ると 滝が見えてきます

 

ケーブルカー乗り場は ちょうど ホームスが落ちた場所の(川を挟んで)反対側になるので そこから「ホームズが落ちた」と言われる場所を示す 「星⭐️のマーク」が見えます

 

「ライヘンバッハの滝」は アルプス山脈でも最も高所にある滝の一つであり 「ローゼンラウフェン氷河とブラウ氷河から流れでる水が谷沿いに集まり7つの滝となって落ちる」と「スイス観光局」の説明には書いてあったのですが 残念ながら その年は 滝に流れ出る水量が少なかった(とケーブルカーの車掌さんは言っていた💦)のか 旅行ガイドに載っているような立派な「滝」ではなかったのでした😅

 

それで ホームズが落ちた「滝壺」も 水量が少なくて 水があふれていなかったので 私は「これでは ホームズが落ちても 滝の水と一緒に滝壺には落ちずに 崖の側面に激突するに違いない」と思ったのでした😅🤣

 

ホームズが落ちた(と言われる)「星のマーク⭐️」のところまでたどり着くためには 谷の上にかかる「細い橋」を歩いて渡らなければならず それが「高所恐怖症」の私にはできず... 結局 反対側から景色を眺めただけなのでした💦

でも 綺麗なマイリンゲン の村が見渡せて とてもよかったです

 

それから また(ちゃんと45分後に)ケーブルカーに乗って下に降り ポストバス🚌に乗ってマイリンゲン の村に戻りました

 

もう1つのマイリンゲンの見どころですが... 

 

マイリンゲン には「アーレ峡谷 Aareshlucht」という絶景があります

 

「アーレ峡谷』は キルヘットKirchetと呼ばれる石灰岩が何千もの間に川の流れで侵食されて 深さは2000メートルにもなるところもあり 最も狭いところは1メートルくらいの幅で そこを氷河や湧水などが流れる激流のことです

 

峡谷の片側には幅1メートルにも満たない観光客用の遊歩道がありますが 手すりは鉄の棒だけなので それはすごい迫力です 

一方通行だとは思うのですが 対面から来た歩行者とすれ違う時には お互いが端によらなければならず かなりの恐怖があると思います

 

想像して見てください

歩いている真下を 激流が流れていくのですよ😅

 

およそ40分くらいかけて 峡谷沿いの遊歩道を進みます

(もちろん ライヘンバッハの滝と違って こちらは 水量が豊富でした)

 

それなりに水もかぶりますが 氷河のとけた微妙な「青緑と白の混ざった色」は 独特な色合いでした

アーレ川は インターラーケンなど多くの観光地をとおってながれているので その独特な色を色々な場所で確かめることができますよ

でも アーレ峡谷の水の色は 「まさに氷河」という感じの色でした

 

そこを出ると 広い駐車場に出ます

 

そこからは また 平和で自然の雄大なスイスが広がっています

 

日本を出て 旅行して思うことは なぜ『もっと観光地を宣伝しないのだろう』です

日本の「看板」に慣れてしまっている私は もっと「商売っ気」があってもいいのにと 観光地に行くたびに思うのです

 

 

 

シャーロックホームズを追ってーロンドン編

皆さんは 「名探偵」🕵🏻‍♂️と聞いて誰を思い浮かべますか?

 

アーサー・コナン・ドイルの描いた「シャーロック・ホームズ Sherlock Holmes」ですか

それとも アガサ・クリスティーの「エルキュール・ポアロ Hercule Poirot」ですか

それとも 日本を代表する「古畑任三郎」でしょうか

 

多分 皆さんは小学生で「シャーロック・ホームズ」の本を読み そして中学くらいで「エルキュール・ポアロ」 そして高校生くらいで「古畑任三郎」のテレビシリーズでしょうか

 

まあ「古畑任三郎は」テレビ番組📺ではありますが 日本を代表する「名探偵」としてもいいのではないでしょうか

古畑任三郎」は アメリカの人気テレビ番組「コロンボ」からヒントを得たと言われ 犯人がわかっているところから始まり 話の展開をワクワクして 犯人の気持ちになりながらハラハラもし 見入ってしまいますね👀

 

古畑任三郎」は 演じていた名俳優さんの(最近の)死によって🙏🏻 今 またテレビで再放送されているようですが 私はリアルタイムの時は興味がなく 1年半ほど前に初めて「古畑任三郎」をDVDで知り おもしろくて全巻買い揃えました📀

 

アガサ・クリスティーの「ポアロ」は時々 NHKがシリーズで放映していますが やはり仕事柄リアルタイムでみることができないので 「ミス・マープル Miss Marple]と併せて DVDを全巻そろえ(日本語版が出ていないものは import版で揃えます なお 日本語版の1/3くらいの価格でかえます) 時間ができた時にみています📀

 

私が大学生くらいの時までには アガサ・クリスティーの本の「著作権保護期間50年」(2018年から期間は70年になっているそうです)が過ぎていたので 毎月のように文庫から新書がでて 学校帰りに毎月 本屋さんによって 新書📖を買って帰るのが楽しみだったことを覚えています

 

もちろん当時は「和訳」されたものでしたけど 今ではAmazonなどで気軽に洋書が手に入るようになってからは原語で読むこともできています📕

 

最近では 技術の向上で 「聞く読書」もあらわれ また「携帯」などで読むことができる電子本も増えてきて 「ものを持たない」時代になってきたとしみじみ感じます

 

電子版の図書は 買った瞬間に送られてきて 「待つ」必要もないですよね

 

「読みたい時に読める📚」という 大変 便利な時代になりました

 

シャーロック・ホームズ🕵🏻‍♂️」はというと いまだ人気は衰えず イギリスでは何度もテレビ番組にもなって イギリス俳優ベネディクト・カンバーバッチ主演のものが ペイチャンネルでも見えるようになっていますね

 

ベネディクト・カンバーバッチといえば イギリス国王リチャード3世👑の子孫ということがわかりニュースでも報じられていましたね

このリチャート3世🤴は 学校の歴史でも有名な「薔薇戦争」の最後の国王で 長いあいだ埋葬場所がわからなかったのですが 2012年にレスター市中心の駐車場の地下から 発見されて レスター大学のミトコンドリアDNA調査も行われ本人であることも確認され さらに シェークスピアの戯曲で描かれたように脊椎側湾症が実際にあったと確認されました

 

では 前置きはさておき ...

 

皆さんは ロンドンに「シャーロック・ホームズ館🕵🏻‍♂️ The Sherlock Holmes Museum」があるのをご存知です

 

小説の中でも ホームズは「ベーカー街」に住んでいることになっていますよね

詳しくは 「ベーカー街221B  番地(221B Baker Street)」です

ホームズ🕵🏻‍♂️は 1880年初頭から 1903年まで ハドソン夫人の経営するこの下宿屋に ワトソン医師と共同生活していた設定になっています

 

 ちなみに この住所🏠のB(b)は ラテン語・フランス語の Bis(第2の)からきていて 建築の増改築によって同じ番地に2軒以上の住宅がある場合に使われるので 要するにこの住所からホームズの下宿は2階以上であったことがわかりますね💡

 

実際には ホームズの時代には ベーガー街は 東側は1−42番地まで 西側は44−85番地まででしたので 当時221Bは存在しない住所でした

 

時代が下り 1921年と1930年で他の通り(街)を合併したことによって 旧ベーカー街41が 今のベーカー街221となったそうです

 

1990年5月に この土地を買収した実業家が 「シャーロック・ホームズ館」にしたそうです

ちなみに 小説と同じで 階段の数は「17段」です

 

イギリス国内では 有名な人物が住んだ場所 または歴史的出来事のあった場所に ブルー・プラーク bule plaque が設置されますが ホームズは現存しなかったにも関わらず この博物館には ブルー・プラークが貼られています

さすがですね💡

 

シャーロック・ホームズ館」には 「ベーカー・ストリート駅」から徒歩で行けるのですが googleがない時代には なかなかに見つけるのが難しかったです

私が少々 「方向音痴」というのもあるかもしれませんが...

 

とにかく ロンドンを歩いた人はご存知でしょうが 街の中には大きな「看板」というのはありません

 

名所だとしても 日本のように「看板」や「大きな説明地図・道筋案内」はないので なんとか地図を頼りに見つけなければいけません💦

 

それで 手っ取り早く 近くを歩いていた人に行き方を聞くことにしました

 

ロンドンの人は あまり愛想はよくないですが 島国でもあり「日本人」と気質が似ているとも言われ 親切です

 

近くを歩いていた 年配の(親切そうな)女性👵🏻に道を聞いたのですが ニコリともせず 歩き出して行きました

それで 「あれっ💦 教えてくれないのかな」と思ったら こちらを振り返って 軽く目配せしました

「そうか 連れて行ってくれるんだ」とわかり その女性の後について行きました

 

そして 「ホームズ博物館」の前に来ると またニコリともせずに 立ち去ってしまいました

 

そうなんですね 日本の人は ニコニコしてくれますが 外国ではあまりニコニコされることは少ないですね

でも それは「不親切」ということではないんです

 

シャーロック・ホームズ博物館」には 警官👮🏻‍♂️が常駐しています

警察官のための小さなスペースもあります

 

と思っていたら なんとこの警察官 実はビクトリア朝時代の警官の衣装を着たドアマンだったそうです

だから 毎日いたのですね

 

(でも ある記事には スコットランドヤードから派遣された警察官👮🏻‍♂️ともあります

一体どちらなのでしょうね🤔

でも 1実業家の経営する1博物館にスコットランドヤードが警察官を派遣することはなさそうですよね)

 

またベーカーストリートは なかなかに落ち着いた場所にあり 建物自体が周りの建物に溶けこんでいるので 正面に来て 右手の「The SHERLOCK HOLMES MUSEUM」と緑地に金で書かれたお土産物屋さんの大きめの看板を見るまでは それとはわかりませんよ

 

そのお土産物屋さんで チケット🎟を買います

このチケット🎟が リーフレットになっていて 建物内の説明書になっています

 

シャーック・ホームズの寝室🛏と書斎📚は2階です

もちろん 「伝説の17段の階段」を上って2階に行きます

 

シャーロック・ホームズは小説内の人物ですが これらの部屋を見ると まるで実存していたかのような気がしてきます

あまり広くはありませんが 家具などがビクトリア朝のものだそうで とても特徴のあるどっしりとしたものです

 

机の上には ホームズのトレードマークである帽子👲🏻 (deerstalker 鹿撃ち帽というのだそうです)やバイオリン🎻 そしてパイプ🚬 その他 とても高価そうな家具・調度品🔬が 生活感を匂わせつつ(結構ぎっしり)置かれています

 

まさに「ただの展示」ではなく 「本当にホームズが住んでいた」感がただよってくるように 壁の写真類 洗面宝具 や ベッドとベッドまわり品 ...などなど

どこを取っても 今でも ホームズが住んでいるような心憎い演出です

 

3階に上がり...

3階には ワトソン博士👨🏻‍⚕️の書斎と 大家さんのハドソン夫人👵🏻の部屋があります

 

ワトソン博士👨🏻‍⚕️の書斎には 医療関係の器具💉とか 医療本 血圧計までも置いてあります ... 

それに やはり ホームズの部屋と負けず劣らずの 立派な家具類や立派な暖炉 そしておしゃれな「石炭入れ」もあります

 

ハドソン夫人の部屋は 女性らしく可愛らしかったです

 

机の上に 「寄せ書きノート📖🖋」がおいてあって 世界中🌎🌍🌏からここを訪れた人が何かしら書き残していました

私も書きました

この博物館を訪れてみた人は 私の「寄せ書き」を探してみてくださいね

 

4階は 登場人物の「ロウ人形」があって 5階は屋根裏部屋で3角屋根のトイレルーム🚽です

(昔のロンドンでは トイレを使用した後で それを道に捨てていたとある文献にありました

歩行者にとっては歩くには夜は危険だったのですね)

 

こんな素晴らしい家具類を見ると 「ホームズはよほど稼いでいたに違いない💷」と(下世話にも)感じてしまったのでした

 

話は変わり...

 

ロンドンのトラファルガー広場Trafalgar Square  ー ネルソン提督の記念柱とライオン像🦁と噴水⛲️で有名な広場 ー の近くに 有名な英国パブ「ザ シャーロック・ホームズ🕵🏻‍♂️」があります

 

イギリスの「パブ」というと「ビール🍺」を思い浮かべると思いますが 「パブ」は軽食も取れる いわゆる「ビール🍻が飲める気軽なレストラン🍽」という感じで 実際には ビールが飲めなくても遠慮する必要はありません

 

私がロンドン🇬🇧で初めて行った「パブ」が この「ザ シャーロック・ホームズ」でした

昼食を食べ🍴に入ったのですが ビクトリア朝の家具のあるゆったりした場所でした

 

メニューもありますが レジのところに 実際のお料理がガラス張りの中に置かれていて そこで 「これとこれと」みたいに注文することもできます

実際に「これはなに?」と聞きながら 注文することもできます

1皿に 食べたいものをいっぱい乗せていただくことができます

 

堅苦しいレストランよりは 量も多く 気兼ねなく 話しながら ゆっくり食べることができます🍽

 

では ロンドンの「シャーロック・ホームズ」はこれくらいで 次回は スイス・マイリンゲンの「シャーロック・ホームズ」をご覧ください  

 

 

 

 

 

 

 

爆破予告でアラスカ空港に

ヨーロッパ🌍を旅行するために 飛行機に乗っていた ある夜🌙のこと...

 

何年前までかはわからないですけど ヨーロッパに飛行機✈️で行く際に ソ連(ロシア🇷🇺の前の名前)の上空を飛ぶことができなかったため 飛行機は北ルート(北回り)か南ルート(南回り)を取っていたことをご存知ですか

 

「北回り」とは 北極の上空を通過する飛行機のルートで 希望すれば 北極圏城を通過した際に(飛行機の)パイロットの「サイン🖋」などがもらえたんですよ

 

1983年に ソ連領空をとんでいた大韓民国の飛行機が✈️ ソ連の戦闘機で撃墜されましたけど ソ連領空を侵犯しなければ 安全だと思いますよね

 

でも 2001年の「アメリ同時多発テロ」以降は 飛行機のコックピットへの入室も非常に厳しくなりましたが それ以前には CAにお願いすれば コックピットの中を見学をしたり (オートパイロットの時に限られましたけど)パイロットと話もできたのですよ

いま思えば 飛行機✈️にとって平和な時代でした

 

それで...

私たちが乗った飛行機は 北ルートを取り北極を目指していました

 

食事🍽も終わり ゆっくりと💤 ,,. と思ったところ 機内で放送📢が入り 一旦アンカレッジ空港に向かい🛬 そこで飛行機を降りるように告げられました

 

「おや ヨローッパ直通便ではないのかな」と思って 近くを通ったCAの方に尋ねたところ なんと「飛行機の点検がある🔧」ので 一旦アンカレッジに着陸する🛬とのことでした

 

それで 手荷物も機内に置いたまま 私たち乗客は 一旦しばらくの間 飛行機を降りることになったのです

 

日本🇯🇵を夜の10時⭐️に離陸しているので もう真夜中🌙でした

 

さすがに 国際空港ではあっても アンカレッジ空港は「夜」なので 空港内のお店もほとんど閉じていて 残念なことに暖かい飲み物☕️にもありつけなかったです

飛行機を降りたすぐの場所なので 待合室のような 椅子が用意されていただけのような気がします

 

時期は12月で アラスカにあるアンカレッジ空港は当然のこと吹雪🌨でした

 

日本での「吹雪いている」のとは 規模が違うんですよ

なんと表現するのか... もう空港中 視界に入るもの全てが真っ白に吹雪いていると行ったら想像できるでしょうか

空から降ってくる雪🌨だけではなく 地面に積もった雪❄️も 吹雪て それが もう一度上空にまい 降ってきた雪とあわせて 強風によって また降ってくるみたいな

 

ガラス窓に雪が 上からも下からもぶつかってくるのを想像してみてください

 

20−30分くらいして 飛行機に戻ることができたのですが 確か機内放送📢で 「飛行機に爆発物💣があるという連絡があったので 機内をしらべたが 何も発見されなかった」という内容でした💦

 

「飛行機に爆発物を仕掛けた」とかいう 爆破予告電話が空港会社に入っていたらしいのです💦

 

そういえば 私たちがアンカレッジで 飛行機を降り始めた時に CAの方々が 手早く座席上の手荷を置いた棚を開いて 確認し始めていましたっけ

 

911事件の前であり「飛行機テロ」はそれほど多くなく むしろどちらかというと誤爆や政治的なテロが起きていたので 日本の飛行機は比較的安全だと思われていた時なので その機内放送を聞いた後も「爆発物がなくてよかった」くらいの感覚しかありませんでした

平和ボケしていたんですね

 

その後 テレビ番組やYouTubeでも 「飛行機事故」や「飛行機爆破」などが多く取り扱われるようになり 最近ようやく 飛行機も危ないのだなと思うようになりました

 

2020年1月のネット情報によりますと 新幹線🚄は「死亡事故ゼロ」で最も安全

 

飛行機✈️事故は 一旦おきると被害が多くなるのですが 確率的には毎日飛行機に乗るとして8,200年に1回の率なのだそうです

 

なので 車🚗の事故が最も多いんですね

「あおり運転」とかせずに とにかく安全に運転しましょうね みなさん

 

 

 

スイス ルガノにて

日本からスイス🇨🇭・チューリッヒ空港へ向かう飛行機で 見ていなかった「タイタニック🚢」の映画を見つけた

 

飛行機✈️とはすごいもので ただ飛ぶというだけはなく 観られる映画🎥の数も ものすごく多いんですよね

 

映画🎥も 色々な言語に対応していて これは絶対に 「タイタニック🚢」を見ようと「頑張ろう」と思ったのでした

どうして「頑張ろう」としたのかというと 私は飛行機では絶対に寝る💤ことにしていたからです

 

そもそも 毎回 旅行直前まで働くので 時差もあり 飛行機で寝ないと体調を壊すのです💊

でも その時は 浅はかにも 「タイタニック🚢」を見てしまい 睡眠時間がほとんど取れなくなったのでした

 

チューリッヒ🇨🇭までは 飛行機直行便🛫で 12−13時間かかります

 

なので 映画1本🎥見たところで 睡眠時間が減るわけがない ...というのは 全くに甘かったんです💦

なんと「タイタニック🚢」は上演時間が3時間半もあったのです

おまけに 最後の「タイタニック🚢」の沈没のところは 乗客が「かわいそうで😭」 結局最後の30分ほどは見られなかったんですけど💦

 

飛行機が飛び立つ🛫と 水平飛行になって飲み物🍵が出て それから少しして食事🍽になりますよね

その後に 映画🎥などをゆっくり見て そして 飛行機の窓を閉めて「夜🌙」になるのですが がっつり「夜更かし」してしまったんです

 

チューリッヒ🇨🇭まで飛行時間12時間半として 最初2時間くらいは食事の時間🍽で それから映画🎥を3時間半(全部)見たとして 残り7時間

 

でも 到着🛬2時間前には ごそごそ支度をはじめ それから「朝食🍽」になるので 実質 眠れる時間といえば (映画を見ると)5時間くらいなのですね

 

そして 私は「不眠症」なのです😰

 

結局 映画「タイタニック🚢」を見て ...といっても最後の場面が 涙が出るくらい乗客が「気の毒で😭」見られなかったにも関わらず 結局 飛行機の中では寝ずに チューリッチ🇨🇭に到着しちゃいました

 

これが 後から「ひどい目にあう」ことになろうとは その時は考えもしなかったんですけど💦

 

チューリッヒから スーツケースをゴロゴロ引っ張りながら そしてチョコチョコ観光し スイス南部のルガノへ向かいます

 

ルガノは 「ルガーノ」と発音するらしく イタリア語圏です

 

国境が入り組んでいるので ルガノに向かう電車🚃は一旦イタリア🇮🇹を経由して またスイスに戻ります

でも 一応国境🇨🇭🇮🇹🇨🇭をまたぐので 電車の中で パスポート検査🛂があります

今でもあるのでしょうか❓

 

電車🚃に座っていると 検査の係の人が回ってきて 一人一人のパスポートを検査🛂し 写真で顔を確認します

(少し失礼ではありますが)イタリア🇮🇹にしては しっかりしたパスポート検査🛂でした

 

電車🚃は地域の電車らしく 4人が向かい合うようになっていました

一緒に座ったのは ドイツ🇩🇪からの若者たちでした

ヨーロッパでよく言われるのは 「ドイツ人🇩🇪はバックパック1つ🎒でどこへでも旅行する」で この時の若者グループも大きなバックパックで旅行していました

 

「どこからきたの」といわれ「日本🇯🇵だよ」と答え 楽しく過ごせました

ドイツ人の若者は 結構うまく英語を話します

 

驚いたことに ルガノへ行く日本人🇯🇵は少ないらしく ホテルの人も「日本人🇯🇵は初めてだ」といっていました

そういえば ヨーロッパでは絶対に見かける日本人が ルガノへ行く途中の電車でも 全く見かけませんでした🤔

東洋人自体 見かけませんでした🤔

 

 

駅について ホテルまでタクシー🚕を利用しようとしたら 「英語」は通じません

「イタリア語🇮🇹」のみです

 

ほとんどの日本の人たちは ヨーロッパは「英語が話せれば問題ない」と思っているかもしれませんが 地方に行くと 「英語」を使う必要のない人たちは 「英語」は話せません😰

まあ 話す機会がないので 「英語」を話す人が少なくなるのは当たり前ですよね😄

 

なんとかイタリア語🇮🇹を使ってホテルへ到着

ホテルの人は 英語を話す人もいましたが イタリア語しか話せない人もいました

 

そこで 私の相方は多少 パニックになっていました

相方は「英語🇬🇧」しか話せないのです

(まあ「英語」だけでも十分立派なことなのかもしれないですけど...)

 

そして追い討ちをかけるように 私の体調が悪くなり 医者👨🏻‍⚕️を呼んでもらいことになりました

 

体調を崩した理由は  ...

そうなんです❗️   

お察しの通り 飛行機で寝ておかなかったので 体調を壊したのです😨

 

「英語」を話すホテルのスタッフも 「流暢な英語」ではないので 相方は必死に頑張っていました

部屋に来てくれた医者👨🏻‍⚕️は 英語とドイツ語を話したので だいたいドイツ語で話しました

 

診察を終えて その医者👨🏻‍⚕️が 相方に「薬は処方したから 薬屋さんに行って買って来てくれ💊」と伝えました

 

相方が使えるのは「英語」だけです

でも ホテルのスタッフといえど「英語」がたどたどしく ましてやタクシー🚕の運転手と薬屋💊は イタリア語しか話せなかったのです

 

なぜ イタリア語圏🇮🇹のルガノに来たかというと 私が少しながらイタリア語が話せるので 言葉には不自由しないだろうという理由だったので まさか私が体調悪くなるとは 相方は想像していなかったようなのです💦

 

相方が使えるイタリア語🇮🇹は "Ciao(チャオ)" "Grazie(ありがとう)" と ルガノに来てから覚えた"Prego(どういたしまして)”くらいだったのにも関わらず ななな なんと薬屋まで 一人で処方された薬を買いに行くことになってしまったのでした😰

 

まず ホテルの人がタクシー🚕の運転手に イタリア語で行き先の「薬屋💊」を伝えてくれて 相方は出かけました🚕=3

 

その後の話では 薬屋💊についても イタリア語しか通じず 周りの人が集まって来ても みんなイタリア語しか話せず 「女性用か」「男性用か」さえも通じず ...といった大変な状態だったそうです😨

 

イタリア語🇮🇹が使いたかった私は 本当に残念でした💦

そして イタリア語🇮🇹なんて知らない相方にとっては 本当に災難でした💦

 

私はその後 医者に点滴💉をされ 医者に変わってやって来た看護師の女性と ドイツ語で話し 楽しく過ごし その後 テレビ📺でイタリア語の「懐メロ🎵」を聞いて いたってのんびりと過ごしていました

 

私はイタリア語の歌🎵の大ファンです

最初に買った「レコード」(もうレコードなんて売っていませんよね🤣)もイタリア語🇮🇹の曲です❤️

そして イタリア語の歌は結構歌えます🎶 

英語の歌よりはたくさん🎵

 

そして やっと薬💊を買って戻って来た相方は 疲労困憊であったのでした😂🤣

 

ルガノは まさにルガノ湖 湖畔の街で 景色は最高ですが 私はずっと点滴💉を受けてベッドで寝ていて どこも観光できませんでした

 

イタリア語の話せない相方は しかし 果敢にも 一人で隣町まで電車に乗って🚃 観光に出かけました👀

 

「もう一度行きたいな」と思ってはいるのですが 相方は「英語が通じない」状況に恐怖を覚えたのか 英語が使える国以外は行きたがりません

 

そりゃそうですけどね😄

言葉の全く通じないところに一人で放り出されて おまけに「薬💊」を買うという使命まで帯びていたのですから💦

 

申し訳なく思いながらも 私はイタリア語が使えなかった無念さをずっと残しているのです😰

 

ルガノから車で1時間くらいのイタリア🇮🇹の街に 友達が住んでいて 今度行った時にはその友達に会いたいなとも思っているのですが...

 

このコロナ禍 大変な思いをされている方々 頑張ってください🙏🏻

 

 

ホノルルの潜水艦

ハワイ🏝にいたある夏の日

 

(日本人のいう「ハワイ🏝」は 大抵は「ワイキキビーチ🏄‍♂️」のあるオアフ島のホノルルのことです)

 

その日は 「潜水艦🐟」に乗る予定でした

今では ネットで簡単にさがせるアトラクションで 結構大々的に宣伝が行われているので すぐに見つけられます

 

一応 前もって説明しますと これは「潜水艦🐟 海底アドベンチャー」アトラクションの悪口では決してありません😀

超個人的なもので 「潜水艦」に乗った 1個人の「感想」として読んでいただきたいです

それに 昔のことですから... 今はずっと快適になっています

 

「潜水艦🐟」ツアーの集合場所は ワイキキの浜辺です

 

海水浴をしている人🏊‍♀️や サーファー🏄‍♂️の邪魔になってはいけないので 比較的 「水泳」などに向いていない そして 海底に何かあるに違いない場所に設定されていました

いわゆる「水泳禁止地区🚫」なので 波🌊は高く 「潜水艦」に乗るために設置された場所に置いてある板も 波によって 上に上がったり 下に落ちたり 遠くから見ているだけで 波の荒さがわかるほどでした💦

 

ネットを見ると 今の潜水艦は64人乗りで 最新のものになっていますが 私が乗った時には 定員が20名くらいの小さめの「潜水艦」でした

 

少し早めに行ったので 前の人たちが「潜水艦」に乗り込むのが見えました

その地点までは 大きめのボート🚤で行きます

そこへ行くまでのボートも 波🌊によってすごく揺れます

 

一人の白人の女性が ボートから「潜水艦」に乗り込もうとしますが 波が荒いためか はたまた「閉所恐怖症」claustrophobiaなのかわかりませんが なかなか 「潜水艦」の乗れません💦

係員が 必死に説得するも 泣き出したり 悲鳴をあげ 大騒動の後に一旦「潜水艦」に乗り込みますが 数秒後には「潜水艦」から出てきて 結局 ボート🚤に乗って 海岸に帰ってきました

 

私は「高所恐怖症」acrophobiaなのですが 同じような「恐怖症」として 「あの人 怖かったんだな」と 理解できました

 

しばらくして 「潜水艦」が浮上し 私たちの番になりました

今まで「潜水艦」に乗っていた人たちがボート🚤でもどってきて そのボート🚤に私たちが乗りこみます

 

波は 本当に高く 荒れ気味🌊でした

ボート🚤も揺れ 「潜水艦」に乗るステーションみたいな狭い板張りの床も大揺れです

もちろん 今から乗り込む「潜水艦」も大揺れでした

 

「潜水艦」の入り口は 潜水艦の上側の丸いところです

小さくはありませんが 大きな外国人の男性が入れるくらいの大きさで まさに「潜水艦」のドア...そのものです

そりゃ 海に潜るのだから 大きなドアでは浸水の恐れがありますよね

 

「潜水艦」上部の丸い入り口から入り 小さな金属製のはしごを2mほど降ると 中甥に20人くらい分の背中わせの席があります

(背もたれはありません)

そこで背中合わせで座ります

そうして座ると 「潜水艦」の側面の小さな丸い窓から 外が見えます

 

今では「日本語のテープ音声案内📼」もあるようですが 当時はなかったです

一人のガイドさんがいて マイク🎤で説明をしていました

 

この時点で 私の相方が 息苦しさを訴え始めました

そうなんです 相方は「閉所恐怖症」なのです

空気は その「潜水艦」にあるだけだったので 15〜20分くらいしか潜っていられません

なので もちろん新しい空気の補充もなく また 狭い場所で 背中合わせに座ってすぐに前が窓という感じなので かなり「狭く」 空気もだんだんと二酸化炭素が多くなっていきます

エアコンももちろんついていませんでしたよ

 

(でも 20人が空気を吸うのだら 空気変換器みたいなのはあったかもしれないですね)

 

まあ「閉所恐怖症」の人にとっては かなりキツイ空間に違いなかったです💦

 

「潜水艦」なので もちろん窓を開けて空気の入れ替えができるはずもなく ...

 

ガイド🎤の人は 若い男性で 色々と 「盛った」話をします

 

「サメ🦈が見えるかもしれません」と ...いやいや ここはワイキキなのだから サメなんかがいたら 泳いでいる人やサーファーが食べたられちゃうだろう

 

「ウミガメ🐢が見えるかもしれません」と...いやいや 海底で おまけに照明施設もないし 周りは真っ暗だし おまけに波も高かった🌊ので 海水が濁って何も見えるはずがありません

 

「熱帯魚🐠が見えるかもしれません」と ... 💦

 

他の乗客はというと ガイドの「盛った」話を 明らかに認識しているらしく 別に驚くでもなく 窓の外が真っ暗なのをがっかりするでもなく 熱心に「真っ暗な外」を見ています👀 

 

「潜水艦」は 動くことができるようで 海の中を進みます

多分 多少は場所を移動しました

 

そこには「潜水艦ツアー」用であろう沈んだ船があって ガイド曰く🎤「あそこは 魚🐠🐟のマンションです」...はあ 沈没船の残骸は見えるけど 魚🐠🐟はどこにもいない

 

そもそも 「潜水艦」がプクプク動けば 魚だって寄って来ないだろう

おまけに 海水はすっかり濁り 1メートルどころか 50センチ先も見えはしない

 

しかし ガイドのお兄さんは 「プロ」であった🎤

乗客を飽きさせることなく 「...であろう」話を楽しげに進めるので 時々 乗客から笑いも聞こえる

そして 何も見ることなく 「潜水艦ツアー」が終わった

 

相方はずっと 手に汗を握り 辛そうだった

結局 何も見えなかったので どうということはない

それで「潜水艦」に乗ったという記憶は 長いこと封印される🤐こととなった

はっきり表現すると 「潜水艦に乗ったことを忘れていた」のでした😂🤣

 

でも みなさん

今では ネットで見る限り 「潜水艦」も大きくなって エアコン完備なのだそうです

ひょっとして 素晴らしい「海底旅行」ができるかもしれませんよ

 

そして 

私たちは「潜水艦」をでて ボート🚤に乗り海岸へ戻るのですが 「潜水艦」から出る時には 荒い波🌊のおかげで 私は「海に落ちるのではないか」という恐怖との戦いでした

そうです ... 私は 泳げないのです💦

海に落ちたら 一巻の終わりです💦

この時が一番怖かったです💦

 

そして 海岸で 次の「潜水艦」へ乗る人達を見ていたら またもや女性が一人 「潜水艦」に乗れずに ボート🚤で戻ってきました

 

そして 私は考えたのでした 

「彼女は 返金してもらえるのだろうか」💸と...