TOMOKO.先生のブログ

イギリスや海外での一コマを皆さんに紹介します。 写真は残念ですが掲載できません。 更新は毎週土曜日の予定です!

スイスの言語と「シヨン城」

 

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スイスのレマン湖のほとりに「シヨン城」🏰が

あります

フランス語🇫🇷では Château de Chillon となります

 

「シヨン城」の話に入る前に 少しだけスイスで使われる言語📖についての説明ですが...

 

スイスは地域によって使用する言語が4つあります

 

フランス🇫🇷に近い地域ではフランス語(約23%)、イタリア🇮🇹に近い地域ではイタリア語 (約6%) ドイツ🇩🇪に近い地域ではドイツ語(約70%) そしてロマンシュ語(約0.5%)です

 

ロマンシュ語は かつてローマ帝国の属州であった地域で使用されていたラテン語が(山岳部のために隔離され)独自の形で変形してできたと言われていて 1938年にスイスの国語として法的に認めらたそうです

 

どの国でも その国独自の「訛り」ができるように スイスで話されるフランス語はスイス・フランス語 Français de Suiss、 同じようにスイス・ドイツ語 Schwyzerdütsch と呼ばます

(イタリア語に関しては どの呼び方もないようです)

 

また観光国でもあるので 当然のこと 必要のある人は英語も話します

 

スイスの人たちは言葉の問題で困っていないのかと言うと 私の経験した範囲ですが 例えばお店に入って挨拶する言葉で 会話する言葉が決まるようです

たとえば お店に入って Bonjour🇫🇷 と声をかければフランス語で、 Hallo かGuten Tag 🇩🇪と言えばドイツ語で会話をする...のような具合です

明らかに旅行者であれば 英語で話してくれます

 

テレビ💻をつければ スイスの公用語の3ヶ国語が使われているので スイスの人たちは生まれながら色々な言葉を聞いて育っていて 会話には不自由はないようです

いい環境ですよね‼️

 

加えてフランス語・ドイツ語・イタリア語は「女性名詞」「男性名詞」、ドイツ語に至っては「中性名詞」も存在し、 動詞の活用もそれぞれ6つずつあるので スイス人にしてみれば (3人称単数しか変化しない)英語は簡単に感じるのでしょうね😄

 

では 話は戻り...

 

シヨン城はレマン湖のほとりにある小さなお城🏰です 

お城というべきか「城塞」です

この小さな城塞が有名になったのは多分イギリスの詩人「バイロン」のおかげでしょう

シヨン城の地下牢には「バイロン」の書いた「落書き」が今も残っています

今でも見ることができます

(でも 誰かのイタズラであるという説もありますよ)

 

シヨン城に興味がある人はぜひ Google Earth 🌍の「3D 」で見てください‼️

Google Earth🌍を開いて 虫眼鏡🔍のところに Chillon Castle Switzerland と入れると出てきます

右側にある丸の2つ目「2D」と押すと 「3D」になり より立体的に見ることができるのでお勧めです‼️

 

私の 人生初めての海外旅行は「団体旅行」でした

でも 時間や行く場所が決まっていて(もちろん自由時間はあるのですが)もっと時間をかけて見たり 行きたい場所に行きたいと思って 2回目からは 飛行機とホテルは日本で予約して あとは自分で行き先を決め 切符を買い 電車やバスに乗り 自由に行きたい場所に行くようにしました

 

この日は 前の日に宿泊したマイリンゲン Meiringen (ドイツ語圏)から電車に乗り (その日の宿泊地である)ローザンヌ Lausanne(フランス語圏) の途中にある モントルーMontreux で途中下車し シオン城を見に行くことにしたのでした

 

余談ですが マイリンゲン は「メレンゲ」のお菓子の発祥地といわれ 氷河の溶けた水流でも有名です(ブログでまたご紹介しますね)😄

 

みなさん よかったら Google Earthを開いて 「モントルー駅」Montreux Station で3Dにして 一緒に同じ道を歩いてみてください👣👣👣

 

モントルー駅の「インフォメージョン」でシヨン城への行き方を聞いたところ バスがとおっているらしいので バス停をさがしに 教えられたように 駅を出て右に曲がり(海側にむかって)建物と建物の間の細い道の階段を下に降りて行きます

 

(旅行者にはかなり分かりにくい道です というか 絶対に見つけられないですよ‼️)

 

すごく狭いところだったのですが (インフォメーションの人曰く)それが一番の近い道なのだそうです

 

その辺にバス停があるようなのですが 階段を降りているときに前方に海(実際はレマン湖です😄)が見えました

この時点で バスに乗ることなど 頭からすっかり消え この湖沿いに歩くことに決めました👣👣

インフォーメーションの人も たしか 「歩いても行ける」ようなことを言っていたっけ🤔

 

「天気のいい日だし 湖を見ながら歩いてみよう‼️」ということになりました

 

階段を降りて左に曲がり とことこ歩きます

日差しをあびて 湖を右に眺めながら 心軽やかに進みます

10分過ぎ 15分過ぎ ... 💦

なかなかに「シヨン城」は現れません😰

 

「もうこれ以上は歩きたくないな😰」と思い 道の端のガードレールに座って つくづく「バス🚌に乗ればよかった💦」と後悔しました

当時はまだ 便利な Google mapとかはなかったので あとどれくらいで着くのか 地図を片手に思案にくれ ... ずっと右側が湖なので 一体どのくらい歩けば着くのか 全く分からなかったのです‼️

心は半分くらい折れていました😅

 

多分 ヨーロッパで日本の旅行者が困るのが 「看板」がないことでしょう❗️

そうなんです❗️

日本には 名所・旧跡とか 小さな店でさえも「看板」が出て 「後 どのくらいで着く」とか予測できるのですが ヨーロッパの国では「看板」は町の美を損ねると言う理由で ほとんど出ていないのです‼️

有名な観光地でさえもです❗️

 

 

頑張って「もう一息」と思いながら 歩いていると 前方に ...👀

見えました🏰

 

30分以上 いや もっと長時間歩いて ... 湖の中に 道から少し離れて 「シヨン城」が 🏰

 

Google Earthで見ていただいても 小さいのが分かりますか⁉️

 

道から ボートが2ー3台通れるだけの 川のような(日本でいう狭いお堀みたいな)海をはさんで シヨン城が建っています🏰

 

「お城」と言うよりも「城壁」で ヨーロッパの「お城」の感覚から言えば かなり小さめでした❗️

多分 広い湖を背にして建っているので 余計に小さく見えるのでしょうが ...実際に...小さいです👀

それでも このお城はスイスで最も訪問者が多い歴史的建造物だなのだそうです‼️

 

湖の上(といっても道からは10メートルほども離れていないと思うのですが)の「お城」と歩いてきた道路との間に 小さな橋がかかっていて 「橋」といっても石造りで屋根のついた(2メートルほどの幅だが)歴史的なものですよ❗️

「橋」の下には 小さなボートがとまっています🛶

(このボートでも観光できるらしい)

 

「橋」を渡って右手のところに売店(のような場所)があり そこでチケット🎫を買い それをもって まず城壁の中へ行く

(検問は...ありません😂)

 

まずは 地下へと...👣

地下は冷えているので 食糧貯蔵庫🧀と ... なんと「牢獄」🕯がある

岩を掘っただけ⛏のゴツゴツした場所で かつての囚人たちの落書きもある

床なんかはないので 岩の間に水の溜まっている場所もある

寒い時には過酷な場所に違いない

 

そしてその中には あの有名なイギリス🇬🇧を代表する詩人「バイロン」の署名の落書きが今でも残っている‼️

バイロンも 落書き(というか 地下の岩の壁に 自分の名前を掘っちゃたんです😅)を残したかもしれないですね😄

 

 

地下を出て お城の中へ ...

居住区域へ... 👣

壁はもちろん岩で 天井と床は木製の 騎士時代の広〜い部屋が👀 

とにかく天井が高く 部屋も広く 湖の上でもあり 壁は石であり これは寒いだろうな〜と思ったら 大きな暖炉が1つあります

でも どう考えても 冬は寒いのだろうな〜❄️❄️

 

そして 多分 寒さを防ぐために「タベストリー」とかの芸術作品もあったのでしょうが サヴォワ(英語ではサヴォイ)家が去って以来 城の持ち主が何回も変わり かなりの貴重な家具とかは無くなってしまったらしい😰

 

そしておどろべきは トイレ ... 今でいう水洗トイレというのでしょうか❓

湖に面した壁際に 立派な座り心地の良さそうな木が渡してあり そこには丸い穴がいくつか空いています

そこから下を覗く👀と はるか下に湖の波が見えます

そうなんです‼️

これがトイレなのです🚽

水洗というのでしょうか?

 

でも 間違って落ちたら ...💦

小さな子供は 座ったら(お尻の小ささから考えて)絶対に下に落ちると思います😰

高所恐怖症の私は もう見ただけで 落ちる気がして すごく怖かったです

ここで用をたすなんて ...とても無理です💦

 

別の部屋には騎士が戦うための鎧とか剣🗡とか はたまた 斧とか 弓🏹とか 大砲💣が飾られています👀

こんな恐ろしい武器を持った騎士が迫ってきたら 走って逃げるより他仕方ないですね💦

もちろん当時の人は 命をかけて戦ったのでしょうけど💦

 

高く建てられた見張り台からは 素晴らしい景色が見渡せますが 本来の役目は「敵」を見張ることだったのですね👀

窓は小さく ここから 弓🏹を射たり 戦えない女性たちは熱くした油を「敵」に向かって浴びせたそうです❗️

 

西洋の石の文化と 日本の木の文化とか 色々な違いも知ることができます

 

ほっとするのは 塔と見張り台をつなぐいくつもの道が木でできていて屋根もあり 温かみがあるなと感じたことです‼️

 

おみやげ物屋さんもありますが これといって買わなかったです🎁

 

後述:

「さあ帰ろう」となったとき (お城から道路にかかっている)橋のところで 他の観光客が 最寄りの駅の話をしていた

よく聞いてみると なんとこの城の近くに駅があるらしい💡

 

んんん... 非常に小さいもので 日本のように 大きな看板がかかっているわけではありません💦

ハワイもそうなんですが ヨーロッパの国々でも結構「看板」は 町の外観を悪くするという理由で 見かけないのです

でも これでトコトコと30分以上も歩いて帰る必要はなくなり ホッとしたのでした😄