TOMOKO.先生のブログ

海外を旅行した時の面白い話と 日常の

ラスベガスの騎馬ショー🎠

しばらく前までは 年に1ー2度 海外に行っていた🌍

 

最初に旅行した時は カメラだけだった📷

確か その後の旅行でも 携帯📱電話は空港で現地のものを借りたし もちろん携帯📱電話にはカメラ機能もなかった

なので 携帯用ビデオ器具📹を持っていった

これらのフィルムは 今ではカメラ屋さんでDVDに焼いてもらわないといけない

今のように iCouldとかはないので ビデオ機📹は 一番新しいものでも内臓のチップに入れていた

現代の 電話もかけれて 写真も写せて 翻訳もして 映画も見えて kindleで本も読めて iCloudに際限なく保存できる世界で 生きている若者には 携帯電話📱がなかった時代があったなんて 想像できないかもしれない

私でさえ 昔は 携帯電話もなくよく海外へ行けたものだと 怖くなる

 

前置きが長くなりましたが...😅

旅行をして いろんな場所に行き いろんな人と出会い いろんな物を食べて そして歴史遺産の建物を見て 自然を堪能して その中で もう一度見てみたいのが ラスベガスの騎馬ショー🎠なんです

 

そして 現代らしく 携帯電話で今もこのショーがあるかgoogleってみよう👀

 

おっ

まだやってました‼️

「Tournament of Kings」です👏👏👏

 

中世騎士🎠の好きな人には 本当におすすめです🏰

この「Tournament of Kings」のサイトから 写真を撮りたかったんですけど 著作権問題が発生するのでしょうか?

 

(↑これは戦い真っ最中って感じですが まさに これの無料画像です)

 

このラスベガスのtournament of kingsのサイトから 宣伝をかねて 文章を拝借しますと...

 

オーバル風のアリーナを舞台に 本物の馬🎠に跨った騎士が 馬上で繰り広げる一騎打ちや 剣による中世の騎馬戦を披露する」

 

そうなんです❣️

土で作った楕円形の上で 中世にあった騎馬試合が 本物の馬に乗った騎士🎠が戦うのです

 

調べてみたら 団体は「トゥルネイ」であり 一騎打ちは「ジョスト」と余分だそうです

また槍は「ランス」...響きが 中世のフランスを思い出させますね❣️

 

「ジョスト」(騎士の一騎打ち競技)は ランス(槍)を用いて相手を落馬させる

えっ 戦斧🪓とか ハンマー🔨も相手を殴る❓のもあるんですか

 

オーストリア🇦🇹でも 「中世騎馬祭りの馬上槍試合ショー」があるそうなんです

本物の中世の城壁を背景に 行われえるそうで なかなかにこの紹介の写真は迫力があります🎠

見てみたいですね👀

 

これはほとんど ラスベガスのショーと同じです

馬には布を被せてあるんですが あれは「カパリスン」というらしいんですけど 領主とか貴族の家紋とかのついた布なのでしょうか❓

調べてみても わからなかったので ご存知の方はぜひ教えてください

 

(歴史愛❤️がすごくて 話がずれにずれて 申し訳ないです😅 いやはや💦)

 

ラスベガスのTournament of Kings から また話がずれちゃうんですが 騎馬試合🎠といえば フランス王アンリ2世ですね

 

アンリ2世は誰🤔と思うあなたに

・イタリア・フィレンツェメディチ家から カトリーヌ・ド・メディチを妃に迎えた人

ノストラダムスに死を予言されていた人

・20歳年上のディアヌ・ド・ポワチエを愛妾としていた人

・息子フランソア2世の妻は スコットランド女王メアリー

です‼️

 

エリザベートスペイン王フェリペ2世イギリスのメアリー1世と結婚して死別しています)との結婚式で 槍試合を自ら行い モンゴムリ伯の槍が 王の右目を貫いて死亡

しました

相手をしたモンゴムリ伯は 国王の生前に「許し」をうけたのですが 王妃に拘束され その後 辛い人生を送ります

 

危ないといえば危ない 試合です🏟️

 

で ようやくラスベガスのTounament of kingsに話を戻すと 座っている席のすぐ横が 土のフィールドになっていて そこを本物の馬にまたがって 鎧をつけた貴族が やる試合をするのです

音響効果がいいのか 盾🛡️に刀が当たるたびに 鋭い金具の音が響きます

馬が横を走り抜けるので 馬の大きさに圧倒されます

サイトによると 休園日はなく👀 公演は1時間半です

 

すごかったなぁ〜とひたすら 感慨無量の気持ちです

 

もし ラスベガスをもう一度行く機会があったら ぜひもう一度 いや何度でも みに行きたいショーでした❤️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あいさつ❤️は大切

YouTubeで たまたま見てしまったのが 「言葉が通じなくて」その国が大嫌いになったという話

 

よく見つかるのが 

んんん...なんというんだっけ 「海外青年なんとか」で海外で働いて生活できるビザが貰えるのは🌍

 

フランス🇫🇷で愚痴を言っている人を目つける

 

結構多いのが フランス語も話せず 英語も話せずに フランス🇫🇷で働いて パリジャンの悪口を言っている人

 

世界が全部そうだとは言いませんが 世界に出る時には 少なくとも英語で「意思」が伝得られるようにしておくべきです

 

多分 大抵のヨーロッパの国では 「英語」が話せるのは当然と考えています

というのは 「英語」は文法的に 比較的簡単なので ヨーロッパ人が学習しやすいからです

フランス語・イタリア語・ドイツ語・スペイン語(くらいしか 私の知識はないのですが)文法は難しいです...「女性名詞・男性名詞」(ドイツ語は「中性名詞」)それプラス「形容詞変化」「動詞変化」

なので 「動詞の3単」と「複数形」しかない英語は 「超」簡単な言語なんです

 

その「英語」で意思表示もできず おまけに自分が行く予定の国の言語の基礎知識さえもなく 「働いて」「住む」のは 

そして フランスで働きたいのなら 少なくとも「フランス語」の挨拶くらいは勉強しておくか もっとフランスに溶け込む態度を示すべきだと思います

 

中学2年の教科書の「ホームステイ」でもありましたが 「完璧な英語を話さなくてもいいいので なるべく英語で話しなさい」っていう文章があった

 

海外に出る人に お勧めしたいのは とにかく 言葉が大切ですってことです

自分のすんでいる地域の人に聞いて見たりして なるべくその国の言語と文化を理解しようという姿勢が大切です

 

日本に来た 外国の人でも 一生懸命日本語を使おうとすると 助けたいと思いますよね

どこの国の人でも同じです

 

そして 言葉と同じように大切なのが 微笑み😁

微笑み😄って世界共通語だと思います

 

でも 日本の人って 人前で怒りませんよね💢

世界に出たら 怒れた時には 日本語でもいいので 怒ってくださいね

日本人って 礼儀正しくて 律儀で 時間を守り 働き者として有名だけど 怒るところは怒っていいんだと思います

 

 

 

 

 

リチャード3世👑と行方不明の二人の王子

イギリス人の作家🖋️フィリッパ・ラングリーPhilippa J Langley さん

 

作家というか アマチュア歴史家で シェークスピアにしっかり悪者にされた「リチャード3世」」の遺骨を なんとレスター氏のレスター市の駐車場の下から 2012年に発見した人なんです

(映画「ロスト・キング」の元になりました)

(右2冊を kindleで購入して読んでいるんです)

リチャード3世は写真右上の人です👑

写真よりも むしろ シェークスピアの戯曲の「リチャード3世」の方が よっぽど有名ですね

シェークスピアの戯曲の中では 

 

   背骨が大きく曲がってコブがあり

   足を引きずって歩き

   ヒキガエルのようだ 

 

とされている

では 駐車場したから発見された遺骨からわかるDNAが語るリチャード3世とは一体❓

 

リチャード3世👑は 1452年生まれ 死亡は1485年です

ちょうど(皆さんお馴染み)「バラ戦争」を終結させるのに 重要なのは人物だったんです

リチャード3世はヨーク家の「白バラ」でした

これまた有名な「ボズワースの戦い」で 敗北を予測したリチャード3世は 果敢にも 敵陣に打って出て 悲惨な戦死をしたと伝わっています

実際 英医学専門誌「ランセット」に掲載された遺骨検死に関する論文では

 

   リチャード3世の東部には致命傷となった傷以外に

   絶命直前のものと見られる損傷9箇所が見つかり

   致命傷となったと考えられる2箇所については その痕跡から鋭利な武器が 頭蓋骨を貫通して脳にまで貫通していた

   その他 胴体部分にも2箇所の損傷があり 死後に鎧を引き剥がされた後にできた

   複数の的に襲撃されたと推定される

 

らしいのだ

(興味のある人は実際の頭蓋骨の写真もあるので Googleで調べてみてください)

 

ものすごい調査なんですけど 発見された遺骨が リチャード3世なのかは リチャード3世の姉アン・オブ・ヨークの16代目と19代目に当たる母系子孫を見つけ ミトコンドリアDNA鑑定によって 本人であると確認されたそうなんです

すごいですね

 

DNA鑑定によって リチャード3世の悲惨な死だけでなく 「顔」も復元され シェークスピアで語られていたような 醜い容姿ではなく 96%の確率で「青い瞳」をもち 77%の確率で(歳とともに黒くなった可能性もある)「金髪」であることが分かったんです

 

では リチャード3世👑と 「行方不明の二人の王子」との関係はというと...

 

写真の左の「二人の少年」を どこかで見たことがある方はいるのではないでしょうか❓

 

ミレーが描いた「ロンドン塔の王子たち」という絵です

 

端正な顔立ちのこの二人の王子は リチャード3世の甥「エドワード5世」(当時12歳)(右)と「ヨーク公リチャード」(当時9歳)(左)です

 

エドワード5世」は「リチャード3世」によって王位を取られ ロンドン塔で殺されたと考えられていました

 

二人の王子の母エリザベス・ウッドヴィルは「赤バラ派」でしたが その美貌で「白バラ派」のイングランドエドワード4世と結婚しました

お母さんが(残っている肖像を見ると)細身のとても綺麗な人だったので 王子は二人とも とても綺麗です

 

写真の本 右下を今読んでいるのですが 二人とも「青い目」「金髪」で 歳とともに金髪から黒い金髪へ変わったようです

 

リチャード3世と 二人の王子は 「叔父と甥」だけの関係ではなく 500年以上も リチャードは二人の甥殺しの疑いが持たれていたんです

 

公式記録によると 1483年の夏くらいまでは ロンドン塔の庭(当時はロンドン塔の中に王の居住区があった)で遊んでいる記述があるが それ以来 リチャード3世の「王子暗殺説」が飛び交い 200年後の1674年 工事中のホワイト・タワー(ロンドン塔内)から 二人の子供の骨が発見され 失踪した王子の遺骨ではないかとされ その後 「王族がねむる」ウェストミンスター寺院へ埋葬さました

 

ところが...なんです

 

リチャード3世の骨を見つけたフィリッパ・ラングリーが2015年「失踪王子プロジェクト」を立ち上げ 世界中から専門家を含むボランティア300人以上が参加して 関係地域の公式文書などを解読し データ解析をしていったのです

 

イギリス国内だけでなく フランス オランダ ポルトガル そして 特に神聖ローマ帝国のマキシミリアン1世の文書と スペイン大使の文書は役立ったそうです

 

王子たちは1483年7月18日〜10月28日ごろまでの間に ロンドンから姿を消していたことまでは分かっていましたが その後2020年11月にオランダのとある古文書館の文章で 兄のエドワード5世は1487年に また弟のヨーク公リチャードは1493年まで生きていたことが分かったんです

 

ロンドン塔からどのようにいなくなったかというと 兄には粗末な服を着せ 弟は女装し それから船に乗って 無事イギリス本国を脱出

でも 二人とも とても悲惨なその後の人生なんです

 

エドワード5世👑は

チャネル諸島からヨークシャーに渡り その後(アイルランド年代記によれば)アイルランドに亡命し 反乱軍を準備し5月27日にはアイルランド王として即位 その後1486年6月16日にヘンリー7世(リチャード3世の次の王 姉の夫)とストーク・フィールドの戦いで敗北

その後にデヴォン州の教会にステンドグラスがあることからこの地で生き抜いたことになる

一説によると ストーク・フィールドの戦いで 顎に酷い損傷をうけ 話すことがむりだったのか または 人前に出ての演説ができなかったのかで 王位の奪還を諦めた可能性があるという

 

ヨーク公リチャード

フランス オランダで密かに暮らしていたが 1495年にテッセル島へ渡り その後イングランドに侵攻し 8年に渡って王座獲得を試みたが失敗

船乗りの子供として名乗らさせて その後 処刑されている

 

二人はロンドン塔から脱出後 一度 会っているという

ちょうど 兄が戦場で顎を負傷し 王冠を諦めた時だったという

その後すぐに 付帯は再開して 弟のヨーク公いリチャードが 王位奪還を目指して兵をあげたのですね

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

マリア・テレジアは「オーストリア女帝👑」ではない?

マリア・テレジア👑は 「神聖ローマ帝国」での「女帝👑」ではなかったんです❗️

 

なぜかというと 「神聖ローマ帝国」は 「サリカ法」に基づいて「女帝」を認めていなかったからです❗️

 

神聖ローマ帝国」❓

西ローマ帝国」は476年に 「東ローマ帝国」は1453年に滅亡しているのに❓

と 疑問を持った人は なかなかの「歴史通」ですよ🌍

 

神聖ローマ帝国」は 「古代劇場」「コロッセウム」「カエサル(英語名:ジュリアス・シーザー」で知られる「ローマ帝国」とは全然関係ないのです

おまけに 代々 ドイツ諸侯(選挙公)から選ばれ のちにマリア・テレジアの「ハプスブルグ家」の世襲となった いわゆる「諸国同盟」が 発端だったんです

 

フランスの哲学者ヴォルテールの言った言葉通り「神聖でもなく ローマ的でもなく 帝国でもない」だったんです

 

マリア・テレジアは誰かと言うと 歴史好きではない人でもご存じの あのフランス革命で処刑された 「王妃マリー・アントワネット👑」のお母さんなんです

 

Maria Theresia Walburga Amalia Christina von Österreich :オーストリアの「マリア・テレジア・ヴァルブルガ・アマーリア•クリスティーナ 」という名前で 1717年に生まれました

父帝に男子が産まれなかったので 本来はマリア・テレジアが「女帝👑」にはなれなかったので 色々な成り行きで 夫のフランツが皇帝となったのです

 

(ここら辺の 歴史は本当に面白いので 是非「歴史本」なのをご覧ください)

 

私は長い間 イギリス🇬🇧のエリザベス2世👑と同じように マリア・テレジアも初恋の人と大恋愛をして 「意中」の人と結婚できた 王侯貴族の間では珍しい 幸せな人だと思っていたのです

 

多くの本の中でも 「恋愛結婚」と描いてあると思います

ところが 最初の婚約者は 旦那さんフランツ・シュテファンのお兄さんだったんです

そのお兄さんが亡くなって 意中の人と結婚できるようになったんですね

 

まるで

イギリスの「ヘンリー8世妃」のキャサリン・オブ・アラゴン

同じく イギリスの「ジョージ5世妃」メアリー・オブ・テック

ロシアの「アレクダンドル3世妃」のマリア・ヒョードロブナみたいですね

 

マリア・テレジアは一時期 のちのプロイセン王フリードリヒ2世との結婚話もあったということなんですよ

「もしも」が歴史の中で よく言われますけど 「もし」マリア・テレジアの両親に弟が生まれていたら マリア・テレジアの人生は変わっていたんでしょうね🤔

 

で 話を主題に戻し...

 

神聖ローマ帝国の帝位には 女性がつけなかったため 父のカール6世が「プラグマティック・サンクションpragmayicus sanctio」を出して 一時的にマリア・テレジアに権力を渡して その後に夫が 神聖ローマ帝国フランツ1世となったんです

 

またまた 余談なんですけど...

このフランツ1世 特記すべきは マリア・テレジアとの結婚のために故国ロレーヌ公国をフランスへ譲渡して その代わりにもらったトスカーナ大公国の「メディチ家」のアンナマリア・ルイーザとの 「メディチ家が所有していた芸術作品を永遠にフィレンツェにとどめおく」という Patto di Famiglia という条約に署名して その結果 今でも美しいフィレンツェがあるんです

アンナマリア・ルイーザもすごいけど 署名したフランツ1世も男前ですね

 

実際には フランツ1世は 1741年の対プロイセン戦争でのオーストリア敗北後には 全面的な実権をマリア・テレジアに譲っています

この夫のフランツは いわゆる入婿だったためか マリア・テレジアには政治的指図を受けたり 宮廷内の家臣からも疎んじられたり 結構辛い宮廷生活だったようです

(でもなかなかに財政面で才能のある人だったようです)

 

その穴埋めか 1745年に彼女の父カール7世の死後 フランツに「神聖ローマ帝国」の皇帝位を送ったんですね

 

なのでマリア・テレジアは かの有名な歴史的「3枚のペチコート作戦」「7年戦争」不本意だった「ポーランド分割」などの 国内外のオーストリア・ハプスブルグ君主として君臨したが 

 

実際には「神聖ローマ皇妃」なんですね😊

 

マリア・テレジア自身が使用したサインもKönigin (女王)とKaiserin(皇后)を合わせた「K.K」だったそうです💍

 

ちょうどイギリスのエリザベス2世の崩御後に 直系以外の王族の姓を「マウントバッテン・ウィンザー」に変えたように マリア・テレジアの姓も 「ハプスブルグ・ロートリンゲン」に変わったんですね

 

実権を握り続けたマリア・テレジアではありましたが 夫フランツ1世が大好きだったようです❣️

こんなところはホッコリしますね😊

 

 

 

 

 

パリ市内には高層ビルがない

今さらながらNetfrixで「エミリー パリへ行く」を見ている

 

Season1−2で 夜用に 綺麗にラインアップされた「エッフェル塔🇫🇷」が写っ

ウクライナ支援」「ピンクリボンの支援」「オリンピック」「同時多発テロ追悼」とか時代背景にライトアップを変える 政治的自己主張もする「塔」だ

 

パリ市内どこから見ても 少し高い場所・建物に上がれば エッフェル塔が見える

そう 市内の建物が ある程度一定の高さに揃っているから...らしい

 

道を「移動のための手段」だけじゃなくて「歩く人が楽しむ存在」と考え それ以外でも美観・日照・防災にも気を配って19世紀に大改造されたらしい

 

パリという大都市でよくぞここまで...と感心する

 

高度成長期にあっても パリ市内での高層ビルは見当たらない

石畳もあって アスファルトにしない文化が素晴らしいと感じる

が 冬は足から冷えるので ブーツも必須だし 石畳なのでハイヒールはちょっときついかも😅

 

建物の高さ規定は ロンドンでも 聖ポール大聖堂の視界を確保するためのに 規制があるらしい

 「ロンドンアイ」作成の際に(時の)チャールズ皇太子が 「美観をそこねると反対していた気がするが 結局 今では  文字通り「ロンドンの目」になっている

私的には テームズ側沿いのMI6の建物のの方が 「対仏情報部」の建物のしては目立つ気がするんですけどね😁

 

いま 色々読んだところ 「旧市街」「新市街」で規制を変えていくんですね❗️

 

 

 

 

 

生まれ変わったら どこに住みたい🌍

「生まれ変わったら」を信じている人はいますか❓

宗教的な観点で「輪廻転生」という言葉があるらしい❤️

 

例えば 今 自分が大好きな国があったり 何かしらその国いに興味を持っていたら ひょっとして 昔その国に住んでいたかもしてませんよ

 

思い起こせば 小学高学年から 「ヒエログリフ」や「ピラミッド」に興味を持って 学校の図書館から沢山本を借りて読みましたっけ📕

大学生の時には お小遣いで「ヒエログリフ」が表面について万年筆🖋️を買ったのを覚えています

以来 私は万年筆🖋️です

 

また小学5年の時に まだボックス型だったテレビで イタリア人歌手「Gigliola Cinquetti」が歌っていた「Il treno d'amore」 を聞いてから イタリアの曲に超夢中になった❣️

最初に買ったレコード📀(当時はCDよりも古いんです)は 「Volano le rindini」で それ以来ずっとイタリア語の音楽のファンなんです

「Massimo Ranieri」の曲 「Quando l'amore diventa poesia」(愛の詩)に至っては 私が聞きすぎたので 姉までもが イタリア語の歌詞が歌えるくらいだった😆

 

そして不思議ながら どうしても音が好きで覚えたかったのがフランス語🇫🇷

(「好きこそものの上手なれ」って諺がありますが フランス語は今でも頑張り中です)

 

ということで 意味があって ひょっとして昔の「私」は エジプト🇪🇬・イタリア🇮🇹・フランス🇫🇷には 住んでいたかもしれないです😆

 

そして 若い時に 「人生は長いから これから勉強する時間は果てしなくある」と思って買ってあるのが なんと スウェーデン語・ハワイ語・ロシア語・アラビア語‼️

 

今現在 フランス🇫🇷語とドイツ🇩🇪語が次は「準2級」 イタリア🇮🇹語が次「3級」という時点で 「人生の時間はまだ長い」とは全然思われないんですいよね😭

そもそもコロナ禍で 対面の授業が受けられなく 苦境に立っているんです💦

 

それで 今度はどこに生まれ変わりたいかというと 何を差しおいてもスイス🇨🇭

 

スイス🇨🇭には ご縁があって 2度いったのですが どうしても忘れられないのは...

 

① 以前にも描いたのですが...

    ジュネーブのホテルで聞いた 「ボンジュール」とすごく可愛いフランス語を話した うら若き(多分20歳以下)の女の子

 「聞いたのはフランス語じゃないか!」というツッコミもあると思いますが そこはジュネーブ フランス語圏です😆

 それと 宿泊はしなかったのですが 近くのホテル「beau Rivage」で 前々回に投稿した「皇妃エリザーベト」がアナーキストにきりつけられて 亡くなったホテルなんです

記念品とががあるので 是非 見に行きたいです👀

 

チューリッヒ駅前で見た 自転車を止めていた女の子

チューリッヒ中央駅の近くの「自然史博物館」に「マンモスの骨」を見に行った時に見かけた自転車に乗った大学生くらいの女の子

 

旅行用の本には載っていたんですけど 博物館の人が「マンモスの骨はないですよ」と言った

当時はGoogleはないので 本に頼るしかなく...今見ると しっかり写っているんですよね マンモスの骨が...

 

で 自転車の女の子に戻ると なんとその時

1)私は自転車が欲しかった

2)買おうと思って諦めた 薄いベージュの縦筋の入った夏用パンツを履いていた

3)日本ではまだ一般的になっていなかった バックパックを背負っていた

以上の3点で すっかりその画像が 脳裏に残ったのです

 

大草原の黒い猫🐈‍⬛

チューリッヒ駅を出発して ツェルマットへ行く途中で見た黒猫🐈‍⬛

山と山に囲まれた まさに大草原の緑の中に 1匹の黒猫が こちらを見ていた

日本の手にれされていない草原ではなく あたり一面刈り取りが終わった 緑広がる草原の中の1匹の黒猫🐈‍⬛だった

近くには家はない 

でも 痩せてはいない

なので どこかで飼われている猫が はるばると食後の散歩でも楽しんでいたんだろう 🐾🐾🐾

 

スイスの楽しい思い出はいっぱいあるんですけど...

それは 一つづつブログで挙げていきますね🇨🇭

 

という 理由で 次の人生は是非🇨🇭で送りたいと思っているんです❤️

輪廻転生があって 自分でその国が選べれば...なんですけど😁

 

 

 

 

 

香港返還 と 「英語」の旅

イギリスの大学院🎓で『TESOL』の資格を取っていたとき カナダ🇨🇦人の男の子(もちろん大学を卒業しています)がいた

 

そのカナダ🇨🇦人の男の子と キューバ🇨🇺からの男性と アメリカ🇺🇸生まれオーストラリア🇦🇺育ちの女性と4人グループで仲良くしていた

 

今日はカナダ🇨🇦人の男の子の話であるが 本人の確認をとっていないので「O君」という名前にする

 

O君の国籍はカナダ🇨🇦であるのだけど どう見ても「アジア系の顔立ち」なのである

英語は まさに紛れのない「カナダ」英語🍁

 

★ちょっとばかり横道にそれて

日本では義務教育の間は アメリカの影響下で「アメリカ🇺🇸英語」なる英語を学ぶので 「英語」は一種類と思っているかもしれないが

「ブリティッシュ🇬🇧イングリッシュ」をご存知の方も見えるだろう

ところが 言葉としての「英語」は イギリス🇬🇧から  人々が移動するに従って 船🚢に乗り 海🌊を超え ⛰️を超え 「大英帝国」👑の名のもと 世界に広がっていった

 

いやそれ以前には 教科書📕にも載っている「ゲルマン民族の大移動」で イギリス🇬🇧には「アングロ族」と「サクソン族」(イギリスは「アングロサ・サクソン人」の国ともいう)

また 分かりやすい言えば 「フランク族」が「フランス🇫🇷」に居座ったので その名になった

ゲルマン民族の大移動からしても 言語は移動していたのだけれども・・・

 

「英語」の旅にしても 「大英帝国」👑の快進撃で 世界中に広がっていった

wikipediaで調べると イギリス連邦加盟国は56カ国あるらしい

「英語」はたどり着いた国々で その国独自の「アクセント」を加えて変化しているが「英語」は「英語」である

国内の地方言語が多すぎて むしろ「英語」を共通語としたインド🇮🇳もある

しばらく前までは「シングリッシュ」という 「わからない英語」の代名詞として使われていた「シンガポール🇸🇬」の英語もある

 

対して 「アメリカ英語」を使う国は アメリカ カナダ(※)リベリア プエルトリコ フィリピンなどであるらしい

ただ※印のついたカナダでは (「スペルはイギリス寄り・発音はアメリカ寄り」とあるが カナダは「英連邦」の1員である)

 

今(2025年現在)のアメリカ大統領が グリーンランドを買い取れば 多分 「アメリカ英語」を話す国は一つ増えることになる💡

 

いずれにしても 「英語学習」で頭を悩ませている若者たちへ 助言をするとすれば「世界共通語がフランス語やスペイン語でなくて良かった」と言える

この謎は 大学で第2外国語を学ぶとわかるでしょう😂

 

話は本題のO君のへ

顔つきでは「どれが母語」かということが分からない ということで カナダ🇨🇦人のO君には 立ち入ったことを聞いたことがなかった

 

そうなんですよ

年齢・政治・宗教の話以外でも 外観から「どこの出身ですか?」も礼儀正しい表現ではありません

 

ところが ひょっとした事で 分かった事があったんです

確か6月の終わりか7月の初めに O君が突然 自己紹介を始めたんです

O君によると...

 

1997年のその日に 香港がイギリス🇬🇧から 中国🇨🇳へと返還されたのだという

それで イギリス政府支配下の「香港」しか 考えれなかった多くの(当時の)香港住民は イギリスに行くか カナダへ『亡命』するかを決めざる終えなかったらしい

O君の両親も 大急ぎでカナダへの亡命を申請して O君は 家族の中で カナダ生まれのカナダ人第1号になったというだ

そうした香港からの移住者はとても多いらしく 人種差別も受けずに 大学まで無事終了したとのこと

 

私自身はカナダ🇨🇦に行ったことがないので 実際に目にしたことはないけれど ヨーロッパ 特にロンドンの街並みを行き交う人々を見えると 驚くと思います

8月で合っても (日本人には)体感11月に感じるロンドンで 北欧からの人々はタンクトップで 地面に座って肌を焼き アフリカのように南国からの人々は 時には毛皮を羽織っている

 

だからだろうか 他人の服装にも 決して関心を示さない

伝統が染み付いた「個人主義」なんである

どこかの国のように 突然 「個人主義」をひけらかさないんである😂

 

そしてここで私事を書かせてもらうと カナダでは2015年からトルドーTrudeau首相が首相であったら 今年3月14日を持って辞任した

この方はお父さんもカナダ首相を務めている

私はトルドー首相の奥さんソフィーSophie Grégoire Trudeauさんのファンだった

残念なことに2023年に別居が発表された

ソフィーさんはフランス語も英語も両方を完璧に話す

彼女のインスタグラムでは 2ヶ国語で完璧な内容を説明しているので 興味のある方は是非ご覧ください

またYouTubeでも見つけれられます