パリのメトロ(地下鉄にのって)
午後からエッフェル塔🗼を見に行くことになったお話です
友達4人で 地図を見ながら(当時は まだGoogle map がなく日本語のガイド本を持って)地下鉄🚇に乗ってエッフェル塔🗼を目指しました
なにせフランス語🇫🇷の掲示で 地下鉄の中から 暗い構内の駅名を読まないといけなかったのです
また フランス語は発音しないアルファベットも多く(最期の子音とか 複数形のsは読まないのにいっぱい付いているので)やたらと長いのです
止まらずに通り過ぎる駅もあり 駅を通過する瞬間に フランス語の駅名を読んで 地下鉄の地図の名前(日本のガイドを持って行ったので 日本語をフランス語に変換して地図で調べるというすごい作業で)を見て 「あと いくつ?」とか心配しながら ワクワクして地下鉄に乗っていました
余談ですが パリの地下鉄🚇の 車輌は車のタイヤのようなゴム製です
実際見てみると本当に「タイヤ」が付いています
本来 騒音対策らしいのですが その目的はみごとに達成され 地下鉄独特の止まるときの金属音はしません
(「そうなんだ」と感激した人は Gloogleで写真を調べて見てくださいね!)
と ここまでは 大変ながら順調に進んだのですが 事件は突然にやって来ました...💦
しばらくして友達の一人が「ここだ!」とみんなに声をかけて地下鉄を降りました
すると 全員(残りの3人)が 降りないうちに 地下鉄のドアが閉まり ...
下りた一人は 駅にたたずみ 私たちは地下鉄に乗ったまま駅を発車し...
フランス語を読むものままならない 地下鉄でです!
瞬時に手話で「次の駅で降りるから 次に来る地下鉄に乗るように」と置いてけぼりの一人に指示...
いま思うと もし 地下鉄が(急行電車と各駅電車の様に)次の駅に止まらなかったりしたら ...
あのときはどうなったのだろう...と今になって 怖い想いに襲われます😰
英語が話せたのは4人中二人 フランス語を理解できたのは私ひとりという状態だったので 突然のこの事件には本当に驚きました(というか 真っ青でした)
でも無事に次の駅で 4人がやっと一緒になり 次の電車に乗ってエッフェル塔をめざしました
もちろん合い言葉は「絶対一緒にいようね」です ✌🏻
ようやくシャン・ド・マルス=トゥール・エッフェル駅(この名前 長いですよね!)につ...き ほっと一息 ...
もつかの間 ...
年中無休のはずのエッフェル塔🗼が どういうことか(クリスマスシーズン🎄だったのか)登れない! と言うか エッフェル塔にのぼるエレベーターに乗れない!
そうなんです!
人数制限があって 1度にエッフェル塔にあがれる人数が決まっているのです!
それで次には6時まで待たなければならなくなり...
エッフェル塔に上って ホテルに帰ると遅くなってしまうし おまけに 夜は(日本ほど)安全でなないので ... がっかりしながらも エッフェル塔に上るのをあきらめたのでした!
またパリ🇫🇷にきたら上ろうを思って
まだ のぼれていないのですけど💦
それでは 次に何をしようかと言うことになり...
だったら「甘いものを食べよう」と小さな喫茶店に入り またまたビックリ❗️
コーヒー☕️と水🚰が同じ値段❗️
当時 日本では「水をお金を出して買う」ことは よほどのことがない限りなかったので ビックリ❗️
くわえて 頼んだサンドイッチが カッチカチのフランスパン🥖にハムだけという何か物足りない感じ ...
パリだから そりゃフランスパンで
ハムサンドだから そりゃハムだけだろ!
というのは 後の話で しっかり日本の感覚だった当時は 「ハムサンド」🥪でも 卵も少し入れて欲しいし レタスだった入れて欲しい ...
と思ったのです!
今では こうしたギャップは無く むしろそのギャップを楽しむことができるようになったのです
しかし今度は 道に迷ったのです(笑)
どうしようか 道で地図を開いて困っていたら 日本語で「お困りですか?」と女性の声が...
そうなんです❗️
パリ住在の日本人女性が声をかけてくれて...
その瞬間に 日本がもっと好きになり
「日本人は何て優しいんだ」とつくづく感謝・感激したのでした❗️❗️
というのが 私の初めてのパリの大冒険でした
今となっては 本当にいい思い出になっています
旅先の困難が いい想い出になった1件でした❗️
リージェンツパークであった犬たち
リージェンツパーク(The Rregnet's Park)はロンドン最大の王立公園🏞です
歴史とか興味のある人は Googleなどで 調べて見てくださいね🗺
今日の話は リージェンツパークで見た のびのびとした犬たち🐶のお話です
日本の犬は しばらく前までは「家族の一員」ではなくて「番犬」として外で暮らしていたことをご存知ですか?
いまの犬達は 暖かい家の中で大切な家族の1人として人間に保護されて大切に人間と一緒に暮らしていますね
今ではそんな素晴らしい環境にある日本の犬ですが外に出るときにはリードをつけて 自由に走り回る事はさすがにできないのですが ...
リージェンツパークで見た犬たちはリードもせずにのびのびと飼い主のまわりを走り回り 驚くなかれ公園内の池でも泳いでいるんです😄
犬が1匹だからではありません
多くの犬が 自由に走り回り 暑い夏のお昼に池のなかをほんとうに自由にのびのびと泳いでいるんです (犬掻きなのでしょうけどね😆)
日本のように 「ワンワン」(バウワウ)とほえる犬もいませんし 犬同士のケンカはもちろんありません
大きな犬も 小さな犬も 仲良くというか お互いに犬の存在を気にしないと言うか
まるで 人間の個人主義が 犬にまで行き渡っているようでした
のびのびとした環境で暮らす犬が 本当に羨ましかったです
できれば ロンドンの犬に生まれたい... としみじみ感じました
もちろん犬だけでなく 飼い主の人間も公園内の芝生に座ったり 寝っ転がったり 日本よりも時間がゆっくり過ぎるのは 何なんでしょうか‼️
ロンドンでは 本当にゆっくりとした生き方を感じる事ができました
日本もいつか こんなゆったりした精神大国になってくれるといいなと思います ❤️
ロンドンのある夏の日
夏 ロンドン🇬🇧を歩いていると きっといろいろな事に気がつくはずです
先ずは服装から👚👕👖...
(多分)北欧から来た人達は タンクトップとかすごく薄着です
ロンドンの気温🌡は 半田市とは比べ物にならないくらい寒いんですけど...
(多分)アフリカからきた人達の中には 夏でも寒いのか 毛皮(の上着)を来ている人がいます
その多様性がどこからくるかというと...
イギリスや ヨーロッパの かつて強国と言われた国々は植民地を持っていたので その国々が独立した後でも さまざまな人種の人々を自国民をしてうけ入れたので 多種多様な人々が 現在暮らしているのです
また 最近記憶に新しい 「移民」も受け入れていますよね
特に大都市では 日本でいう「外国人」が誰なのかはわからない...に違いないです
ロンドンには 特にインド系の人が多く 医者👨🏻⚕️とかアナウンサー🎤とか 結構目につきやすい職業についている人も多く きっとイギリス国籍を取得しているのでしょうね
実際 私がロンドンに最初に観光で来た時 生の果物🍐を皮をむかずに食べて 食中毒にかかり(多分皮の表面についている消毒剤だったのですが) その時 診てくれたお医者さんはインド系の人でした
色々な人がいて インドの民族衣装👳🏻♂️の人もいれば 頭をスカーフで覆った人🧕🏻も見受けられます
このような状況では 「〜人」というのはもはや「時代遅れ」の表現方法ですよね
本当に 8月のロンドンでは 薄着・毛皮と色々な衣装を見かけ 多分 日本の「衣替え」などという観念はないのだろうとしみじみ感じます
つぎはエアコン関係でいうと...
ロンドン🇬🇧ではニュースで「今日は30度🌡を超え20数年に一度の猛暑になります」と言っているのをテレビで 最近よく耳にするようになりました
まず ロンドンの夏は涼しい というか 40度くらいまで温度が上がる日本の夏とは比べ物にならないくらい 涼しいのですけど...
(いや8月の末には「寒い」と感じる時もありました)
8月末のロンドンの気候🌡は たぶん愛知県の11月の気候くらいだろうか🧐
この涼しい気候では ふつうの家にはエアコンは もちろん...ない
扇風機も ない
電車・地下鉄にもエアコンはついていないし 扇風機自さえ取りつけられていない
お店でも エアコンがないし もちろん扇風機も回っていない
(ハロッズの様な大きなデパートは さすがにエアコンは付いていますけど..)
そもそもロンドンでセミの鳴き声は聞かなかったのです
ホームステイしていた Forest Hill🇬🇧(ロンドンから普通電車で10−11個目の駅)では夏の夜は窓を開けて寝てました
(網戸はなかったけど 気候のせいもあるのにちがいないのだけど 虫というものをあまり見かけなかった)
「セミの声」も聞かなかったし 「蚊」もいなかった‼️
ロンドンは暑さに弱い都市だったと思う
今年(2019年)の夏もヨーロッパは猛暑で (エアコンではなくて)扇風機がついた電車が増えたとニュースで言っていた
ロンドンへ行く機会があったら 今のロンドンのエアコン状況について教えて下さいね
スイス・ルツェルンでのサーフィン
スイス🇨🇭には 海がないと言うか 海に面していない
日本では考えられないけど ヨーロッパ内陸の国なので もちろん海に囲まれていなくて 湖と川しかない
なのでサーフィン🏄♂️と言うスポーツが無いと思ったら大間違い!
ルツェルンの世界的有名な「カペル橋」はけっこう大きなロイス川にかかり 実はこのロイス川はルツェルン の町の中で 2つの川がひとつになり流れがとても速くなるのです
そこで若者達が夏には その川の速い流れを使ってサーフィン🏄♂️をして楽しんでいるんです❗️
川には波がないので どのようにサーフィンをするかというと...
川の橋とサーフボードを(何かで)結び 川の流れを(海の)波のように乗りこなすのです
んんんんん...この方が 海の波を待つよりも確実に波に乗れて楽しそうでした
若者の発想は 文化を発展させる力になるのだと痛感!
まあサーフィンはそんな感じで サーフボードを結んであるので(紐が切れなければ)それなりに安全なのでしょうが ある朝 川の隣に立っているホテルのテラスで朝食を取っていると 無謀な若者3人がその激流の川を泳い🏊♂️で下って行くのをみました
日本でいうと台風のときの川のような激流です
ふたり🏊♂️🏊♂️は途中で 泳ぐのを諦めたのですが 残る一人🏊♂️は激流の中を下流へ下流へと
波の中を浮いたり沈んだりしながら みえなくなりました
きっと みつかってお巡りさん👮🏻♂️にしっかり怒られるのだろうなと思って食事を終えました
もう1点
スイス🇨🇭は寒さの厳しい国です
なので(かどうかはわかりませんが)スズメ🐦がとにかく小さいのです
本当に小さくて 食事のテーブルにパン粉をもらいに来るのですが パンを全部あげたい程か弱く見えました
厳しい自然の中で生きる 弱いスズメを見て 出来れば日本に連れ帰って飼いたかったです
ハリケーン「レーン」2018年8月24日(金)(ハワイ時間)
地球の気候異常(地球温暖化)により 地球規模で大きな災害がおきています
被災された方々が 災害から 一刻も早く復興される事をお祈りしています
海外で夏休みや冬休みを過ごし 帰国する時に「日本に帰れるのだろうか」と心配した事が今までに2回ありました
1回目はスイス🇨🇭で夏休みを過ごし 日本に帰る当日の飛行機✈️が 「日本に台風が接近しているため 成田空港には降りれないかもしれません」の連絡が入ったときです
帰国前日にチューリッチ🇨🇭でテレビを観ていて (NHK🇯🇵の番組がみえるのです)
なんと南から日本に 台風が接近中でした!
その時は チューリッヒから「スイス航空」で北から日本に進入するため 南から日本に接近する台風と 私たちが乗る飛行機の どちらが先に東京につくかですごく心配して...
つまり 私達が成田空港に降りられるか または ほかの空港で降りないといけなくなるかと言う 結構 厳しい情況でした😰
飛行機の中では 「東京まで帰れなかったら 東北のどこかの空港に降りるらしい」とか
「それからどうやって帰るんだろう」とか 乗客たちも心配なのか お互いに情報交換しているのが聞こえました
日本🗾に近づくにつれ 厚い雲が空を覆い(見渡すかぎりの範囲で)そして このとき初めて「台風の目」を見ることが出来ました!
テレビの天気予報番組で見る 上からの台風の目とは違い 雲と同じくらいの高さで飛ぶ飛行機からの「台風の目」は 何メートル(何キロなのかなあ?)も盛り上がっている雲でした👀
おお〜‼️
自然の偉大さを初めて目にした瞬間でした‼️
(多分 YouTubeとかで 「台風の目」を見ることが出来ると思うので 興味のある方は みてください)
そのときは 運良く台風の北上よりも 飛行機の速度のほうが速く (数時間差で)成田空港に無事につくことが出来ました😆
しかし問題はその後で ...(みなさん 考えてみてくださいね)
台風は南から北上中で 私たちの飛行機は北から成田についたものの 私達は自宅に帰るため
東京から南西にある愛知県に帰るのです!
そうなんです!
こんどは自宅に帰るために 台風にむかっていくのです
新幹線🚄は動いているか?
名古屋からの電車🚃は動いているか?
ハラハラドキドキの帰宅でした💦
このときは なんとかぎりぎり無事に自宅に帰れ 良かったです😁
第2回目は...
それは2018年8月のことでした
夏休みをひさびさのハワイで それもなんの予定も立てず ノ〜ンビリと過ごし 8月24日(ハワイ時間)の昼の飛行機✈️に乗って日本に帰る予定だったのですか...
8月22日くらいからテレビで「ハワイ島にハリケーンLaneが接近」のニュースがテレビに大きく取り上げられ始め...
ハワイ島では大変な被害で そうした映像がテレビ番組の間に「速報」として流れ...
翌日23日には テレビ画面に次々とハワイ島で猛威をふるう「Harricane Lane」による被害のニュースが一日中写りはじめたころ... 何とオアフ島にも「緊急避難」の指示がハワイ知事から出たということで...😰
各ホテルの入り口には 「緊急掲示板」が設けられて 貼られた紙に「ハリケーンの針路」や
「飛行機の欠航の連絡」「ホノルル市長からの非難指示」が英語・日本語・中国語で張り出され 更に3−4時間ごとに新しい情報が(「Haricen Laneは今ここです」みたいな地図入りで)張り替えられ その周りには情報を求める観光客が集まり...
こうなると「自分だけは絶対に大丈夫」と自負している私も多少は心配になって...
はきませんでした🤣
(こんな状況でも「自分だけは大丈夫!』と思うのは私だけなのでしょうか😂)
その頃にはワイキキのお店が 浸水を防ぐためにドアの下に「土のう」をつみ始め
お店も閉じる所が増え..(.犬もあるけば当たる)「ABCストア」も締めるお店も多く 翌朝の朝ごはんの買出しには 少し離れたロイヤル・ハワイアンの下のABCストアーまで脚を伸ばして「おにぎり」を買い出しに行かないといけなかったんです
ホテルの部屋では 従業員が各部屋のラナイ(テラス)の椅子・テーブルを全部 各部屋の中にいれ...
これはたぶん重労働だったと思います
(それでもやはり「絶対に困難を乗りきる派」の私はいたって気にならず😅
私の心配事は「翌日の朝ごばん」だったのです😁)
寝る前にはもう一度(一応)「明日の飛行機が飛ぶのか」を確認し(確認は情報が無く
できなかったですけど)...
でも「まあ大丈夫だろう」とおもって掃いたのですが 買い物を終わって部屋に帰ると ドアの下からホテル側からの「お知らせ」の紙が ...
それはホテルにいるすべての宿泊者に対して 「台風の風で飛ばされてくるものによって ガラスが割れる危険性もあるので 窓からは離れて寝てください」とのお知らせの文章だった📃
が 幸いないことに...
翌朝は強風の中空港へ行き(でもホテルの外ではどのバスが空港まで行くのかを知りたい観光客でごった返していました)
空港に着くと 強風の中 飛行機は無事に飛び...
でも「Harricane Lane」は ほんの数時間後にオアフ島を襲ったそうです
数時間のことで その後は飛行機は飛べなくなっていました❗️
日本ではハワイのハリケーンのニュースはほとんど流れなかったみたいですね❗️
ウィンザー城
ロンドン🇬🇧から西34キロの所にウィンザー城🏰があります
今のエリザベス女王👑が週末を過ごすお城で 女王が滞在中はお城に旗が上がっています
またお城の中庭では近衛兵💂🏻♂️の交代式も行われます
勿論バッキンガム宮殿での近衛兵の交代式ほど大規模ではありませんが
騎馬兵の交代式も見ることが出来ます
最初に行ったときは冬だったので 騎馬兵達は 皆さんお馴染みのあの赤い制服ではなく
グレーの長いコートを着ていました
そのときの思い出なのですが...
ちょうどドイツ🇩🇪からの団体旅行者が多く 私達がついた時にはもう混雑していて 2−3列までにも近づけず (背の低い)わたし達日本人は 見えなくて困っていた時 ひとりのドイツ人の男性が私達に気づき 最前列にしてくれました
「僕達は背が高いから 2列目でも見えるから大丈夫」ということで わたし達は最前列で交代式を見ることができました
これは私の個人的な意見でしかありませんが ドイツ人には親切な人が多いです
海外旅行をして ドイツに人に助けてもらった事も数回あり 最初がこの交代式でした
その日には女王さま👑もウィンザー城に滞在されていたので 私達観光客が見学できる場所と部屋は限られていました
でも 「開かれた王室」と感じたのは 女王さま様が滞在されていてもお城の中は3分の1ほどの見学👀が許されたのです!
ウィンザー城🏰は 町よりも高い所にあるので 色々な場所からお城を見ることが出来ます
勿論 お城に入る時には なかなかの(心臓破り💔の)坂があります
町から入ると 普通の道を進み 右手にお城が見え カーブのある上り坂がありその上にお城がどっしりとある感じです
カーブの所に 警察👮🏻♂️の検問所があり そこで 色々な情報を教えてくれます
「今日は何時閉門」「女王様は今日はいる」とか...
2度目に行ったときには 午後4時で閉まってしまうということで 3時半ごろに着いた私達は中に入ることができませんでした💦
何年か後に ウィンザー城内で大きな火災🔥があり 美しい部屋とか歴史的絵画がいくつかが消失してしまいました
ウィンザー職員の努力で 大切なものはほぼ避難できたということでした
この火災の後 被害を見て回る女王さま👑の映像が ニュースでも流れていましたね
その修理費用のために(国民はその修理に税金を使いたくない旨を知った女王の判断で)翌年からバッキンガム宮殿が 有料で観光客に解放されることになりました
そのおかげで 私もバッキンガム宮殿の中を見に行けたのですが(バッキンガム宮殿内の話しはまた別のブログでご紹介します)
その年のクリスマスに エリザベス女王はラテン語で「Annus horribilis (ひどい年)」と恒例のテレビ番組で言ったのは 大きな世界ニュースになりましたね
ウィンザー城のすぐ近くには イギリスでも有名な「イートン校」があります
少し足を伸ばして イギリスの「頭脳」を生み出している名門イートン校を見学するのもいいのではないかと思います
ロンドンのお巡りさん 活躍
ある日 地下鉄の駅に向かって歩いていたら ある大きな屋敷で大きな警報音がきこえた
歩いているすぐ左側の突き当たりの大きな家だった
二人のお巡りさん(警官)👮🏻♂️👮🏻♂️がすぐに到着した
ちょっと年上の太った警官と 痩せたい若い警官だ
ロンドン🇬🇧は 日本よりは治安が良くないので 建物は高い塀で囲まれている
だいたい2メートルはあろうかと言う石造の塀だ
これは世界共通だと思うのだが (太った年上の人ではなく)若くてやせた方の警官が塀によじ登った
明らかに 年配の警官は最初から登る気はなかったらしい
それからが大変だった💦
たぶん痩せて若いほうの警官👮🏻♂️は (持ち主から許可を得たのだと思うが)塀を登り 塀の近くの木🌲をつたい 1階の屋根に移り そこから2階の窓までいって その窓を開けて建物に入る予定らしかった
塀から木🌲にはうまく移動し 1階の屋根に登った
それからが問題だった
2階の窓に手を伸ばすのだが 1階の屋根がすべるらしい
手を窓にかけようとするのだが 足はすべっているので なかなかとどかない
若いお巡りさんは苦戦している
年輩のおまわりさんは 若いお巡りさんを塀の下で叱咤激励している
でも いくら叱咤激励されても 1階の屋根が滑るのはなくなるわけがない
この悪戦苦闘が10分以上も続き ...
わたしは(電車に乗るため)その場を後にしたので その後はどうなったのかわからないのです
すみません
話が完結編ではありません
ロンドンのお巡りさん👮🏻♂️👮🏻♀️は 拳銃を持っていない事で有名で つい数年前に 「ロンドンの警官に拳銃を持たせるべきか」の議論がイギリスの国会で行われたが 警察官自身が「持ちたくない」意思を発表し 今現在でも拳銃を持っていない
その理由が 素晴らしいので 読者の皆さん 調べてみて下さい!
あるロンドン🇬🇧での 一コマでした